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2018年08月14日23:24

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8月14日

 古いアパートの裏手で、カラスがヘビをくわえて飛び立った。思わず立ち止まり、カラスが向かう西の空を見上げた。不吉な色の雲が低くわだかまり、空気は重く湿っており、今にも稲光の走りそうな気配を漂わせている。それはその下にあるすべての生命に不安を与えていた。そしてそれぞれの営みの中に何かしらの誤作動を宿命的に引き起こしていく。ぼくは頭の奥の方にずきずきとした痛みをおぼえる。それから少しの吐き気もある。一見、平然とバスを待っているおじさんだって、もれなく低気圧の影響をうけていて、正常なパラメーターの形をいくらか崩している。その証拠に、よくよく肩の動きかたを観察してみると、ずいぶんと呼吸が荒いことがわかる。これから鳴り響くであろう雷鳴におじさんも怯えているのだ。
 ふと顔を上げたとき、歩道橋の下を1羽のスズメがくぐり抜けてくるのを目の端にとらえた。やたらと低空飛行で、何かに追われているように切迫している。あれ、なんかこっちに向かって来てるな、とは思っていたけれど、本当にそのまま接近してきたものだから、ぼくはたちまち危機を感じ身をかがめるにいたった。でもおじさんは、ぼおっと向かいの骨董品店のあたりを見たままだ。マズイと思った刹那、スズメはものすごい速度でおじさんの右耳をちゅぱんと掠めていった。おじさんの耳が後ろに折れ曲がり、すぐに元に戻る。おじさんは「あ」と控えめな悲鳴をあげ、その場によろよろとくずれ落ちた。
 とても珍奇な光景を目撃したとぼくは思った。情意を乱したスズメが、まるで何かのチェックポイントみたいにおじさんの耳を通過していった。おじさんには何が起きたのかまるでわからない。耳を手で押さえてあたりを見回しているだけだ。その際にぼくとも何度か目が合った。でもぼくは「何も見ていません」という透かしたスタンスをとってみせる。真実はぼくの胸の内にとどめておくことにした。謎は謎のままにしておくのがいいと思ったのだ。それは別にクイズ出題者の優越にひたっているわけではなく、また、低気圧の思惑にしたがう使徒を気取っているわけでもない。ただ、おじさんの驚いた顔がとても可愛かった。いったい何が起きたの、と呆然とし、真実を求めようと顎が前へ出ていってしまう。知りたがりなその顎は、ぼくから答えを聞き出そうとどこまでも伸びてくる。でもぼくは首を横にふる。むしろその顎をもとの位置に押し込みたいという衝動にかられることになる。ぼくは目をそらし、なんとか気持ちを落ち着かせる。
 バスはなかなか来なかった。ついに雨がぽつぽつ降ってきた。激しくなりそうだ。もしかすると嵐直前の不穏な風がバスの生命もおかしくさせているのかもしれないとおもった。
 
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