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2018年05月13日20:24

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5月13日

新車のハンドルを持つ手がいまだにふるえている。もう二週間くらいたつけれど、まだシートに体がうまく馴染んでいない。新車を新車のままで維持させようといった当初の誓いが、結果的にぼくを神経質にさせ、そして苛立たせることになっている。
 慣れてきた頃が一番あぶないとは言うけれど、それとは対極にあるはずの現在も、背筋を凍らせるような場面は多くある。それはぼくが過敏になりすぎているせいもあるのだけど、たとえば狭い道でタクシーが速度を落とさずにすれ違っていくというのは悲鳴をあげてしまうほどに耐えがたい。外車と外車の間にバックで入れ込むのも、くわえていた駐車券がよだれでべちょべちょになるくらいに緊張する。つい先日も判断を誤って、行き遅れた右折車として交差点の真ん中に取り残されたばかりだ。
この真新しいボディは絶対に傷つけまいという決意は、皮肉にもぼくを良からぬ方へと向かわせるようだった。どれだけ左右を確認しても、ぼくの黒目がこの街の負を吸い込んでいく気がしてならない。
 それならば、いっそのこと停まっていようとぼくは思う。そこへ踏み出すことに恐怖があるのならば、それが過ぎ去っていくまで、じっと忍耐強く待てばいい。ぼくはかねてからマリオカートをプレイするたびに、ふわふわ浮くハテナボックスの前で停止をしたドライバーが一番優れた選手であると思っていたのだ。
 しかしながら、それは赤信号で停止しているときに起こった。見通しのいいまっすぐな道。ぼくは信号機から三番目の位置に並んでいた。反対車線を赤いワゴン車がぶーんと過ぎていくのが目に入ると、不意にボコンという音がなった。熱湯を注がれたシンクが出すような鈍い音だった。それとともに不吉な振動がぼくの体に伝わってきた。何が起きたかはわからないけれど、この車と赤いワゴンの間に何かがあったことは確かだった。ぼくは汚れひとつない天井を見上げて、ついに恐れていたことが起きたと思った。そして、結局はそういう運命にあったのだと長いため息をついた。そのワゴンはもうどこを走っているかわからない。ナンバーを見る時間なんて少しもなかった。
近くにあったコンビニの駐車場に車をとめた。車体がどうなっているのか、この目で確認する必要があった。鉛でも食べたみたいに胃が重たい。車を降りて、おそるおそる薄目で状態をうかがった。でも、どこにもへこんだような跡は見当たらなかった。顔を近づけてみてもやっぱりわからない。指をすべらしてみると、どこまでもなめらかな感触がつづいていった。とくに変わりはないみたいだった。それはまだ新車と呼べる気持ちのいいボディのまま保たれている。だから、通報するのはやめておいた。なぜなら被害状況を聞かれたときに、ぼくには何も話すことがないからだ。しばらく立ち尽くしたあとに、車にのりこんでエンジンをかけた。じゃあ、あのボコンっていう音はなんなのって思った。

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