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2017年08月18日00:16

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中京商業の野口四兄弟

日本プロ野球の歴史の中で、兄弟4人がプロ野球選手になったというのは金田四兄弟と野口四兄弟しか居ない。
金田兄弟のほうは長男の正一が前人未到空前絶後の400勝をあげ、比較的近年まで野球界に関係していたため、たいていの人が知っているけど、野口兄弟は名前だけは知っていても、どんな選手たちだったのかはあまり知られていない。

長男の明はプロ野球草創期を代表する捕手のひとりで、戦場に赴いた4年間をはさみ、15シーズンにも渡って現役を続け、最後は兄弟の中で唯一、監督までやっている。
あの有名な第19回全国中等学校野球大会の決勝戦、明石中学との延長25回の死闘でキャッチャーを務めたのがこの人。
中京商業卒業後は明治大学に進むも、新しくできた職業野球に誘われて中退。
東京セネターズでは捕手兼投手として活躍、37年春のシーズンでは19勝、秋には大阪タイガースの西村幸生、東京巨人軍のヴィクトル・スタルヒンと並び15勝で最多勝。
38年から41年まで兵役に就いおり、そのときに肩を傷めたため、42年以降は主に一塁手、時折捕手で出場。
もし兵役に行かなければ、そしてもし肩を傷めてなければ、この時点で100勝を越えていたかも知れない。
戦後は中日ドラゴンズ初の日本一に貢献し、51、52年には捕手としてベストナインに選ばれる。
47年には巨人戦で史上初の満塁ランニングホームランを記録、42年の延長28回にも出場して、プロアマ双方の最長試合に出場した選手となる。
選手としてもっとも充実した時期に兵隊に行ってたので、通算記録を並べると大したことはないけど、初期のプロ野球を代表する選手のひとりであったことは間違いないし、最後は監督まで務めたことで、中日ファンにとっては忘れらない人物のはず。

数字の面で言えばもっとすごい、もしかするとプロ野球史上最高の名選手のひとりに数えられてもええんやないかってくらい活躍したのが次男の二郎。
いま、大谷昇平が投手と野手の二刀流で騒がれてるけど、日本プロ野球史上、両面でもっとも顕著な数字を残したのがこの人。
投手として237勝139敗(うち完投259、完封65)1395奪三振、防御率1.96。
打者としても830安打368打点94盗塁9本塁打、通算打率246。
規定投球回数と規定打席を同時に満たしたシーズンが6回で、40年と46年はどちらもベスト10に入る。
46年に達成した31試合連続安打記録は25年後に阪急の長池が破るまで最長で、現在でも歴代4位。
ほかにも、当時世界最長の延長28回を344球で投げきったり、シーズン40勝とか19完封なんてすさまじい記録を残している。
今で言うたら、メッセンジャーと鳥谷をひとりでやってるみたいな感じ。

三男の昇(のぼる)は中京商業卒業後すぐに大阪タイガースに入団、2年目にはフル出場しサードのポジションを確保したものの、これからという3シーズン目の途中で兵隊にとられて、そのまま南方で戦死。

四男渉(わたる)は170センチ60キロと、体格に恵まれなかったこともあり、終戦をはさんで、2シーズンだけ近畿日本(現在のソフバン)でプレイしたが、これといった成績は残していない。

金田兄弟もいちばん上と下が一流で中ふたりは並やから、その点ではよく似ている。
と、いきなり野口4兄弟を語ってしまったのは、週末にNHKでやってたドラマ「1943年のプレイボール」を見て感動してしまったから。
これほどまでに偉大な野球人ファミリーやのに、1度も映像作品で取り上げられたことがなく、とうぜんながら、勝地・前髪クネ男・涼が明、二郎を父親が同じくらいの頃はフィリピン人ホステスに貢ぐために横領した会社の金の穴埋めができなくて首を括ったチョロだった太賀がやったのが初めて。
甲子園で熱戦が続くこの時期にこんな作品を放送してくれたNHKには野球ファンのひとりとして礼を言うほかない。
次は定岡3兄弟と野村3兄弟もやってくれへんかな。

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