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2017年08月06日18:20

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PMFオーケストラ演奏会

1 PMFオーケストラ演奏会<プログラムA>

【プログラム】
(1) ベルリオーズ:序曲「海賊」op.21
(2) 細川俊夫:夢を織る
(3) ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

 PMFヨーロッパ&PMFオーケストラ(管弦楽)
 準・メルクル(指揮)

2017年7月16日(日),14:00開演,札幌コンサートホール


2 PMFオーケストラ演奏会<プログラムB>

【プログラム】
(1) リスト:交響詩「レ・プレリュード」S.97
(2) ドビュッシー:管弦楽のための”映像”から「イベリア」
(3) R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」op.20
(4) バルトーク:管弦楽のための協奏曲

 PMFアメリカ&PMFオーケストラ(管弦楽)
 柳沢謙(指揮,「レ・プレリュード」)
 スーハン・ヤン(指揮,「イベリア」)
 ダヴィッド・ルンツ(指揮,「ドン・ファン」)
 準・メルクル(指揮,「オケ・コン」)

2017年7月23日(日),14:00開演,札幌コンサートホール


3 PMF GALAコンサート(第2部)

【プログラム】
(1) ワーグナー:歌劇「タンホイザー」序曲(ドレスデン版)
(2) ブルッフ:ヴァイオリン協奏曲 第1番 ト短調 op.26
(3) シューベルト:交響曲 第8番 ハ長調 D.944「ザ・グレート」
(アンコール)
 J.S.バッハ:”無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第2番”から「アルマンド」

 ダニエル・ロザコヴィッチ(Vn)
 PMFアメリカ&PMFオーケストラ(管弦楽)
 ワレリー・ゲルギエフ(指揮)

2017年7月29日(土),17:00開演,札幌コンサートホール


1ヶ月に及んだパシフィック・ミュージック・フェスティヴァル(PMF)が終わった。今年はオーケストラの演奏会を3回聴いてみた。想像していた以上に面白い体験だった。もちろん,どれもこれも当たり前のことばかりなのだが,ホールに足を運んでみると,その説得力は格段に違う。ひとことで言うと,音楽家の持って生まれた才能によって演奏の成否が大きく左右されるということだ。それと演奏するという経験を積み重ねることの重要性。とりわけ,優れた演奏家との演奏経験が物を言う。これは,どのような職業についても当てはまることだが。

PMFオーケストラを名乗っていても,PMFウィーン,PMFベルリンやPMFアメリカと呼ばれるこの教育音楽祭の教授陣が各セクションの首席奏者を務める場合とそうでない場合とでは,演奏の質や水準が劇的に変わる。1プラス1が2ではなく,5くらいになる印象だ。また,指揮者の力量によってオーケストラの演奏がどれほど違うのかも思い知らされた。この音楽祭には指揮者のコースがあり,コンダクティング・アカデミーに参加した指揮者の卵とプロの指揮者では,天と地ほどの差がある。プロの指揮者でも,フィラデルフィア管弦楽団のファゴット奏者でもあるダニエル・マツカワと,指揮のエキスパートである準・メルクルやゲルギエフとでは大きなギャップがある。また専門家でも,準・メルクルとゲルギエフとでは,オーケストラから引き出す音楽の質が決定的に違う。さらに,ガラ・コンサートに登場したダニエル・ロザコヴィッチは,10代半ばのヴァイオリニストだが,100人近いPMFの受講生とは比較にならないほどの才能の恵まれている。

とはいえ,この教育音楽祭の受講生で構成されるPMFオーケストラは,地方オーケストラを凌駕するほどのポテンシャルを秘めていることは間違いない。なにぶん急拵えのオーケストラなので,演奏団体としての成熟度は極度に低い。パート間で音量のバランスが狂っていたり,パート同士で演奏のテンポがずれていたり,管楽器の入りが遅かったり早かったり,欠点をあげればきりがない。でも,若いメンバーそれぞれの力量には目を見張るものがあり,大きな可能性を秘めている。たとえば,<プログラムA>の「ダフニスとクロエ」では,この作品の魅力を余すところなく伝える演奏だった。弦楽セクションの多彩な表情も魅力的だったが,それ以上に管楽器の名技性には舌を巻いた。この作品の本当の魅力,いやラヴェルの音楽の面白さをメンバーひとり一人が知り尽くしているような演奏で,「ダフニスとクロエ」の真価を教えてもらった。

<プログラムA>の初めの2曲は受講生だけで演奏し,「ダフニスとクロエ」ではウィーン・フィルやベルリン・フィルのメンバーが各セクションの首席として演奏をリードしたことが「名演」につながったことは否めない。ただ,PMFヨーロッパの面々に触発され,ベルリオーズの「海賊」や細川の「夢を織る」では届かなかった高みに易々と駆け上がることができるテクニック,ベテランが発する挑発に素早く反応しうる感受性に受講生たちの才能の豊かさを感じた。荒削りではあるが,周囲からの刺激に素直に反応する様子には清々しい印象を持つ。

指揮についても,タクトを執った音楽家の力量や個性の差が明らかで,実に興味深い経験をさせてもらった。コンダクティング・アカデミーの受講生3人にしても,その実力の差は一目瞭然。「レ・プレリュード」を振った柳沢謙は,オーケストラはもちろんのこと,楽曲さえ十分に把握していないことが彼の指揮から伝わってくる。おそらく,緊張のあまり普段の力を出しきれなかったのだろうが,腹の括り方も指揮者の資質の一部だろう。「イベリヤ」を指揮したスーハン・ヤンは,指揮台に立つ準備は十分にできていた。だが,細かい指示を出すことに気を取られていたせいか,リズムの処理にキレが乏しく推進力が不足していたようだ。3人の中で抜きん出ていたのがダヴィッド・ルンツ。長い黒髪を搔き分ける仕草や,いかにも指揮をしていますというタクトの振り方など,「のだめカンタービレ」に登場する指揮者のステレオタイプの典型のようなやや滑稽な見た目とは裏腹に,自分が振る「ドン・ファン」に対する自分なりの明瞭なイメージを持っていた。そして,臆することなく自身の解釈をオーケストラに伝える術を身につけていることもわかる。ただ,個性的な解釈はいいのだが,演奏を華やかに飾ることに気を取られ作品の把握がやや甘かったように思う。これも当たり前のことだが,指揮者には(音楽家には,あるいは芸術家にはというべきか)自己陶酔の才能が要るということだ。もちろん,一流になるにはそのナルシステックな側面をあまり目立たせない才能も必要なのだろうが。

ガラ・コンサートの第1部は,必要なスペースの割に内容が乏しいのであえて省略するが,ただしモーツァルトの「エクスルターテ・ユビラーテ」(独唱は司会を務めた天羽明恵)を指揮したダニエル・マツカワについて,話の行き掛かり上一言触れておく。彼はPMFアメリカの一員で,フィラデルフィア管弦楽団のファゴット奏者であり,指揮も手がけるらしい。指揮は堅実で,「エクスルターテ・ユビラーテ」を手際よく無難にまとめていたものの,やはり専門の指揮者と比べるとスケールや深みに欠ける。

さて,準・メルクルとワレリー・ゲルギエフだが,ゲルギエフには一日の長があるだけでなく,カリスマ性に関して準・メルクルとは大きな開きがある。とはいえ「オケ・コン」に関しては準・メルクルを見直した。オーケストラを隅々まで統率し,引き締まった響きで一気呵成に最後まで突っ走った演奏には予想を超えるものがあった。指揮者の卵の演奏を3曲聴いた後なので,オーケストラのコントロールに関しては多少割り引く必要はあると思うが,これほどグリップの効いたスタイリッシュな「オケ・コン」は初めて聴く。独奏を除けば,シカゴ響の「オケ・コン」を思わせる場面もいくつかあった。ただ,ショルティ&シカゴと比べると,スケール感やダイナミズムに関しては小さくまとまり過ぎている。最大の違いは管楽器のソロの名技性でしょう。シカゴ交響楽団のメンバーも含まれるPMFアメリカのヴィルトゥオージティを存分に発揮させるには,準・メルクルは「オケ・コン」をコンパクトにまとめてしまったのだと思う。また,マジャール音楽の要素が希薄になり,現代音楽風の演奏に終始したのも残念。

ゲルギエフは万全の準備でガラ・コンサートに臨んだ訳ではない。それどころか,前々日くらいに来日して,リハーサルの時間もろくに取れない日程だったに違いない。そのような事情もあってか,「タンホイザー」序曲はワーグナーの音楽とは少なくとも一味は違っていた。ワーグナー特有のうねりがない。細分化されたフレーズをただ繋いだだけの演奏のように聴こえた。練習不足が祟ったためか,シューベルトの「ザ・グレート」も,ゴツゴツした感触の演奏で,最初のうちは美しい旋律が醸し出す快さが果てしない続く「天国的な長さ」に浸ることを妨げられた。しかし,演奏が進むにつれ,少し長めの爪楊枝のような指揮棒や痙攣のような指先の動きを通して,ゲルギエフの内部に蓄えられた熱量がオーケストラに伝わり,次第に演奏そのものが熱を帯びてくる。やがて,ホール全体が熱気に包まれ,聴衆も熱狂の渦に巻き込まれる。これはゲルギエフでなければ成し遂げられない魔法だろう。ただし,久しぶりにゲルギエフの指揮するオーケストラの演奏を聴いて,マエストロ自身が丸くなり,その音楽もずいぶんと暖か味の感じられるものに変わったように感じた。とはいえ,ワーグナーにしろシューベルトにしろ,素材としての作品の持ち味を十分に引き出した演奏というより,「タンホイザー・ゲルギエフ風」あるいは「ザ・グレート・ゲルギエフ風」といった方が実態に近いだろう。このやや強引なところは変わっていない。首都圏で2回開催された演奏会は必ずしも大好評ではなかったようだが,PMFアメリカの演奏者たちが,仕事を終えて帰国の途についたため,首席奏者として加わらなかったことが大きいのではないだろうか。

「タンホイザー」序曲と「ザ・グレート」の間に登場した,とても16歳とは思えないダニエル・ロザコヴィッチの大人びた演奏についても,黙って通り過ぎる訳には行くまい。まず,澄み切った美音が奏でる瑞々しいブルッフに惹きつけられる。ダイナミズムやエキゾチシズムは抑制気味だが,旋律の歌い回しは繊細極まりない。アンコールで演奏したパルティータ第2番の「アルマンド」も,10代の半ばのヴァイオリニストとは思えないほどの祈りが込められていたようだ。世界には,奇跡としか言いようのない天才が掃いて捨てるほどいることを改めて思い知る。

この国際教育音楽祭に参加した若い音楽家たちは,多くのものを得て世界各地に散らばって行ったに違いない。各地の仲間と一緒に過ごした時間や,普段接することの少ない教授陣から受けた指導,そして有名な指揮者のもと多くの聴衆の前で演奏した経験は何物にも代え難い財産になったことだろう。おそらく,超一流のオーケストラでポストを得るメンバーはごく限られているとは思うが,世界中のオーケストラの底上げに寄与できれば十分だろう。バーンスタインが思い描いたのも,そういうPMFだったのではないか。
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