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2016年07月26日15:07

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【時評】皇統が父系でつながってきた歴史的事実はない

皇位継承について、
「皇統は父系でつながってきて、途絶えたことはない」と主張している保守系の論客が多い。
しかしそのようなことは、いまだ歴史的事実として認められていない。
「父系だけでつながっている」という伝説はある。
しかし「父系ではつながっていない」という伝説もある。
古代日本史を学んでいる者としては、「古代日本のことは分からないことが多い」としか言えない。
だから古代のことを断定的に語っている者は、ウサンクサイ。信用ならないと思っている。
だから所功氏や小林よしのり氏の言動には好感が持てる。
逆に「男系、男系」「父系、父系」と主張している人々は信用できない。

要点を簡単に説明しておく。
・中国ルーツの父系系図を見て、天皇の継承を父系継承と誤解している 人が多い。
・我が国の場合、血のつながりは、父系母系の両方のつながりを見なければわからない 。なぜなら大陸は同姓不婚だが、我が国では同姓婚が珍しくないからだ。
・とくに古代の皇室は、同族同士の婚姻がしばしばおこなわれている。大陸の儒教文化とちがい、皇位継承は父系の血だけが絶対的なものではないからだ。母系の血も重視している 。

・まず第15代応神天皇。記紀によれば父は仲哀天皇だが、父は住吉の神様という伝説もある。
・応神天皇は、神功皇后(皇族)の子として皇統とつながっているという考え方もある。
・また第29代欽明天皇は継体天皇の子だが、同時に第24代仁賢天皇の孫でもある 。
・第24代仁賢天皇の世継ぎ、第25代武烈天皇には子がなかったので代が途絶えた 。
・そこで仁賢天皇の3人の娘(皇女・内親王)は婿を迎えて後継者を生んだ。その婿が継体、安閑、宣化の3天皇 。
・記紀によれば継体天皇は応神天皇の子孫だが、その記述を疑問視する学者もいる。
・欽明天皇は母(皇女・内親王)を介して皇統とつながっていると考えている者もいる。私もそのひとりだ。
・江戸時代、後桃園天皇には娘(皇女・内親王)しかいなかったので、傍系の皇族男子を婿養子に迎えた。後に即位して第119代光格天皇。この結婚は、父系の血だけを尊重していたのではないという証拠だ。
・正確な系譜は略式の父系系図を見ただけではわからない。不勉強な人は天皇を父系継承と誤解している。
・論客が皇統について語るならば、せめて素人の私以上には勉強して欲しい。

小林よしのり氏 皇室典範改正は安倍首相にしかできない
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=125&from=diary&id=4111695
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