全日本仏教会がAmazon「お坊さん便」に苦言 「お布施はサービスの対価ではない」と“商品化”批判
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=32&from=diary&id=3775677
実に興味深いね。
「私ども伝統仏教界は、お寺は相談しにくいという声を
真摯に受けとめ、社会のニーズに耳を傾け、これからの教団・
寺院運営に反映していかなければならない」
という文章で声明を結んでいるが。
結局このアマゾンの「サービス」が
社会のニーズなんじゃないの?
と云われたらなんと返すのだろうか。
戒名、法名は死後与えられる名などではなく、
仏弟子となった事によって授けられるものだ、という
基本的な事ですら、仏教界は説明を怠って来た。
結果として「院・居士/大姉」に見られるような
「あの世でのランク付け」として体よく利用して来たのが
今と成っては悪名高い戒名なのだ。
別に、一般的な宗教感覚を持っている我々日本人には、
「仏弟子となる」要など感じない。檀家である、なんて事も
意識せず基本的には生きている。
それで、何の不自由もないのだ。
だとするなら儀礼としての「葬式」に形式としての坊主が
決まり事としての経を読む、なんて事は何の不思議も
ありはしない。
仏教は、我々の住む世界とは無縁の代物となってしまっているのだ。
「諸外国の宗教事情を鑑みても、宗教行為を商品としている国はない」
とご大層にお綺麗な事を述べてらっしゃるが、では明治期に
急に登場した水子供養はどのように説明なさる?
あれなどは典型的な「小銭稼ぎ」であろうよ。
「宗教に対する姿勢」など、一般に向けて示した事は
仏教は殆どない。
その事実を忘れて、既得権益が荒らされようとしたら
慌てて「伝統ガー格式ガー精神ガー」と捲し立てようなど、
見え透いた愚か者の所業であろう。
ま、こうして声明など出したのだ。
どのようにして「商品ならざる宗教行為」を「社会のニーズ」に
マッチした形で提示してくれるのか、楽しみにしていよう。
まさか、最近テレヴィなどで調子こいている坊主バーだの、
ライトや音響に凝ったクラブテイストの寺院が
それだ、なんて云わないよね?
それこそ、正に「宗教行為を商品としている」のだからな。
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