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2015年04月24日09:08

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トルストイ「梟の眼は闇のなかではよく見えるが・・・」




文豪トルストイは,その著書「人生の道」で釈迦,孔子、老子、キリスト、マホメッド、ソクラテス、カント、エマーソン・・・・・等170人の古今の聖賢、思想家の言葉をまとめて、人として正しく生きるための「道しるべ」を述べています。
その中の一文です。

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梟の眼は闇のなかではよく見えるが、明るい太陽の下ではさっぱり見えない。
学者もそれと同じである。彼らは本来必要でもない学問的がらくたを一杯抱え込んでいるくせに、人生にとって最も大切なこと、すなわち人間いかに生きるべきかについては
何も知らないし、また知る道理もないのである。





必要以上にいろんなことを知るよりも、知り得ることでも控え目にしるくらいがよい。
人はあまり博識になると、そのため増上慢(ぞうじょうまん)に陥り、何も知らない場合よりも余計馬鹿になるものである。





現代における最も顕著な現象は、自ら学者、文化人、教養人と称する人々が不必要なことを無数に知っていながら、自分の人生に意義を知らないばかりではなく、そのことを鼻にかけるまでに至っていることである。
その反面、それに劣らず顕著な現象は、化学分子式もラジウム放射線の視差も性質も知らぬ無学な人々の間に、自分の人生の意味を知りながら、それを鼻にかけない真に啓蒙された人々が発見されることである。




人生で一番大事なものは知識であると考えている人は、飛んで火にいる夏の虫のようなものである。彼らは自分も滅びるし、光の邪魔もする。





ある人があらゆる学問に通じ、あらゆる国の言葉を話しても、一体自分は何を為すべきであるかを知らないならば、はるかに無学であっても、とにかく自分が生かされている神を信じ、神が自分に正義を求めていることを知っている老婆に比べてはるかに野蛮と言うべきであろう。彼女は学者よりも、ずっと開けている。何故なら彼女は、自分の生命とは何か、いかに生くべきか、という重大な問題に対してちゃんと答えをもっているのに、学者のほうは、きわめて複雑だけれども、ちっとも大事でない人生上の問題に対しては極めで巧妙に答えながら、すべての心ある人々にとって最も重大な問題である「何のために私は生きているのか? 一体何を為すべきであるか? 」という問いに対しては一向に答えようとしないからである。


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