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2008年04月15日18:13

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瞋恚なる怒りと呪い

『ボーヴォワールとサルトルに狂わされた娘時代』

読了。

随分と感情的なタイトルだなぁ、と及び腰で読み始める。
著者であるビアンカ・ランブランが<トリオ>と表現する
人間関係、ボーヴォワールとサルトルという終生婚姻関係を
結ぶ事は無かったが、パートナーとして生涯を共にした
二人それぞれと愛人関係にあった事態の顛末を
語る、という内容がその眼目だが、ボーヴォワールの
死後発表された彼女の日記や書簡集が著者の名誉を
著しく傷つけるものであったため、それの反論として
上梓された本という性格上、むべなるかな、と言った処。
原題も『ある乱された少女の物語』(これはボーヴォワールの
回想録『ある生真面目な少女の物語』に対する皮肉として
付けられている)なので、原題の意訳としてはこうならざるを得ない
タイトルと云える。

第一部は<トリオ>の成立を描くが、その裏で立ち回るボーヴォワールと
サルトルの裏切りに対して、90年になってから知りえた情報を
織り交ぜる事で徹底的に糾弾している。時にヒステリックに
思えるほどだが、すでに反論出来る人間は死に絶え、
長年の友情(と拭い難い愛情)の裏の醜い姿を見せ付けられては、
そうならざるを得ないのだろう。

第二部はその<トリオ>の破綻(その裏には全てボーヴォワールの
意図があった、というのが著者の意見である)から、第二次大戦の
開戦から、ユダヤ人である著者の苦難が綴られる。
ここが極めて興味深い。パリからの脱出や、レジスタンス組織マキへの
参加、そして迎える終戦までの軌跡は、ここだけで一読の価値が
あった。マキをきちんと取り扱った本を今まで読んだ事も恥ずかしながら
無かったので、とても関心を持ちつつ読めた。

そして、第三部は再び交流の復活したボーヴォワールとサルトル(主に前者)の
晩年とその死、そして、遺稿と書簡集の出版によるボーヴォワールの
真意の発覚とそれに対する糾弾でこの物語は閉じる。

この本の日本語版の初版が95年であり、原書はその数年前であろう事を
考えると著者の告発の言葉は全てにおいて生々しく、怒りに満ちている。

それはやはり、ボーヴォワールに対する愛情に裏打ちされた物なのであろう事を
読む者に推測させてしまう。この本において、サルトルの影は非常に薄い。
その功績や、業績はボーヴォワールを遥かに上回ってあまりあると
私などは思うが、常にビアンカにとってボーヴォワールが先頭に位置していたのだろう。
サルトルと引き合わせ、<トリオ>という歪な人間関係の成立を
促し、サルトルと共謀して別離を演出したり、再会後も常に友人としての
人間関係を成していたのは、ボーヴォワールであった。

その晩年を見守り、長い年月を経てきた人間の裏の真意を知ってしまったのだから、
その怒りは恐らく正当な物なのだろう。

末尾付近で著者は興味深い事を書いている。

以下引用

「作家はね」彼女は言った。「あるがままの自分を読者に見せなければならないの。
例えそれが自分の欠点でもね」
 いったいどこからこんな考えを引き出してくるのだろう。私に言わせれば、このような
考えはおぞましいのひと言に尽きる。すなわち、自分をさらけ出すこと、裸で人前に
出る事である。私生活と公の生活の境界線がないなど、私にはとても耐えられない。
偉大な作家になるために、下の話をしなければならないとは思わないし、尻を出して
見せる必要もないと思う。

引用ここまで。

その言説と実生活の不一致によって、毀誉褒貶もあるボーヴォワールであるが、
その残した著作と、この本の作者のこの言葉は、『本を読む人間』にも
様々な事を考えさせる。

その瞋恚な怒りは、ボーヴォワールの死を契機に引き起こされ、
その死が『それが書かれた事によって傷つく人間の存在が消失した』
からこの本が上梓される事となった。

皮肉を感じざるを得ない。

本を書く人間の野望に巻き込まれ、傷つく人間は今までも
数多くいたし、これからも後を断たないだろう。

その累々たる犠牲者の上に、光り輝く傑作が聳え立つのだとするなら。

ここから先を語る言葉を私は持ち得ない。
もっと裸になれ、もっと下の話をしろ、と際限なく求めるのが
読者という生き物なのだから。

最終の一行に込められたビアンカ・ランブランという一女性の
思いは、あまりに重く苦しい。

この行を読んで、肌の粟立つ思いをしない人はいるまい、と思う。

本来であれば、一哲学教師としてその足跡を残す事はない
かもしれないが、落ち着き、静かに晩年を過ごせたかもしれない
女性の、決定的に落ちる事のない憑き物が吐かせた
呪いの言葉だからだ。

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