右足が、しびれた様な感じで痛くなった。よくあることで、原因は座った時の姿勢の悪さだと自覚している。なので、背筋を伸ばし、胡坐もどき(ちゃんとした胡坐はできない)をして、座禅ぽく時間をすごしてみる。
とね、意外にそれらしく、瞑想もどきの時間がやってくるんだけど・・・そのときに、ふと思いついて・・・認知症の人の頭の中を疑似体験できないだろうかとチャレンジしてみた。っていっても、そも認知症の人の頭の中なんて分からないんだけどね(^^;。
なんていうのか・・・認知症が進んだ人の状態って、認知症じゃない人からすると受け入れがたいものなんだと思うのね。だから、その両者が併存する認知症初期には、本人がとても苦しむ。それは確か。だから、認知症じゃない人の価値観からすると、それはとても苦しく悲しい、まったく幸せではない状態なんだと思う。けど、認知症が進行していくと、だんだん楽になっていく。拒否する自分がどんどんいなくなってしまうから・・・
その拒否する自分がいなくなってからの自分・・・認知症じゃない頃の自分が消えて、どっぷり認知症である自分・・・傍から見れば、食べて出して寝て、それ以外は何もないように見える・・・ほんとうに植物のようになっているのか・・・赤ちゃん返りとはよく言うけれど、生命の起源に逆進化していくような感じなのか・・・それとも、ずっと夢の中にいるような感じなのか・・・残念ながら、それはないだろうな・・・
悩んだり苦しんだりしなくなるのは救いだと思うけど・・・それは、悩んだり苦しんだりする能力を失ったからということなのか・・・どこか別の意識レベルのようなものがあるのか・・・それは"無の境地"とは別のモノなのか・・・真逆からたどり着く、同じ場所だったりするのかも・・・たぶん、違うと思うけど・・・
今、漠然と思ってしまう・・・死に至るような体の病に侵されるのは幸せだなと・・・認知症になる前に自死ではなく死ねるのは幸せだと・・・
けど、すごく痛いならそれも相当につらいな・・・病気で長く寝たきりということも大いにある、それは認知症よりつらいかも・・・ああ、全国に"ぽっくり寺"と呼ばれるお寺が多くあるのは、とてもよく分かることだと・・・
楽に生きるのは難しいことだけど・・・楽に死ぬというのも、ほんとうに難しいことのように思える・・・楽に生きたい、そして楽に死にたい・・・なんの志も気概もない怠け者のわたしは、日々をそう思いながら過ごしている・・・
ログインしてコメントを確認・投稿する