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2022年11月06日16:02

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ヒラリー・ハーン:『エクリプス』(ドヴォルザーク,ヒナステラ,サラサーテ)

【収録曲】

 1 ドヴォルザーク:ヴァイオリン協奏曲 イ短調 Op.53
 2 ヒナステラ:ヴァイオリン協奏曲 Op.30
 3 サラサーテ:カルメン幻想曲 Op.25

ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
フランクフルト放送交響楽団
アンドレ・オロスコ=エストラーダ(指揮)

録音:2021年5月,ヘッセン放送ゼンデザール (1),2021年6月,アルテオーパー(2,3),フランクフルト
DG 4862383(セッション)


「エクリプス」は,ヒラリー・ハーンの1年を超える休暇の終わりを告げる新作。これまでも彼女はほぼ10年毎に長期休暇(サバティカル)を取ることを習慣としていた。当初は2020年から演奏活動に復帰する予定だったが,新型コロナの流行のため活動の再開が伸びてしまった。サバティカルを身近な日本語に置き換えるなら充電期間ということになるだろうか。演奏活動を休んでいる間,他の演奏家のコンサートなどには足繁く通うなどして,音楽的エネルギーを充電していたと彼女は振り返る。エクリプス(日食・月食)は,演奏活動を続けたハーンのエネルギーが減少して痩せ細り,サバティカルを経てエネルギーを補充するサイクルにちなんだものなのだろう。

このアルバムにハーンが収録している作品は,ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲,ヒナステラのヴァイオリン協奏曲とサラサーテのカルメン幻想曲の3曲だ。いずれもオーケストラ伴奏付きの作品。これら3曲のうち,ハーンが最初に,そして最大の興味を抱いたのがヒナステラのヴァイオリン協奏曲。このコンチェルトの共演者を考えていたとき,エストラーダ指揮のフランクフルト放送交響楽団が浮かんできたそうだ。彼らとは長い付き合いがあり,素晴らしい演奏ができると確信したという。このことが決定打となって他の2曲の伴奏もこのコンビとの共演となったのだろう。

ヒナステラのヴァイオリン協奏曲は,ある日ハーンが突如思いついて演奏することに決めたそうだ。「パワフルで混沌としたフレーズがありつつも,感情に深く入っていくようなフレーズも存在する,そんな緊張感と解放感のバランスが私には合っていたように感じ」たという。「初めてヒナステラのヴァイオリン協奏曲を聴いたときに,この曲は私のために書かれたのではないかと思うほど感情が入っていたことも覚えている」そうだ。「世の中にはいろんなことが平行して起きています。素敵なことがあれば気持ち悪い出来事もあるように,ヒナステラの曲の中にもそんな両面が存在していて,それがとてもリアルに感じ」られる。「また,技術的にも素晴らしく魅力的な作品で」あり,「私の人生とともに歩いていく作曲家であると感じています」。CDを聴けば聴くほど,ハーンの感想に同意する。

ヒナステラのヴァイオリン協奏曲は革新的な楽曲だ。3楽章形式のコンチェルトだが,第1楽章はCadenza e Studi,第2楽章はAdagio per 22 solisti,第3楽章Scherzo pianissimo e Perpetuum mobileというユニークな内容の楽章で出来ている。

第1楽章は主にヴァイオリン独奏によりカデンツァが提示され,第1から第6までの練習曲(Studi)が続きコーダで終わる。練習曲はカデンツァと音楽的な関連を有しているように響きを持ち,6つの練習曲も相互に関連しているようでもあり,違うようにも聴こえる。変奏曲のアイディアの瓜ふたつのコンセプトなのだが,各曲は音楽的に関連しているようでいて,変奏曲ではなくヴァイオリンのための練習曲に聴こえる。各曲は先鋭な響きを持ち,独奏はテクニック的にも際立ったヴィルトォージティが求められる。

第2楽章も22人の独奏者のためのアダージョという珍しいタイトルを持ち,緩徐楽章のような性格が与えられている。オーケストラの各セクションが交互に演奏する静かでゆったりした音楽を背景に独奏ヴァイオリンが第1楽章のカデンツァとの関連を仄めかすような微かなメロディーを連綿と弾く。

第3楽章はピアニシモのスケルツォと常動曲という二つのパートで構成される。前者は独奏の細かい動きが目立つ静かな音楽で,後者はフィナーレにふさわしい大きな音量と激しい動きを伴うごく短い音楽から成る。

この作品はニューヨーク・フィルからの委嘱で書かれ,1963年にレナード・バーンスタインの指揮により,リンカーン・センターの柿落しで初演された。ヴァイオリン独奏はルッジェロ・リッチ。

ドヴォルザークのヴァイオリン協奏曲は,コンサートホールで何度か聴いたことはあるが,レコーディングで聴くのは初めて。ハーンの特徴が顕著に現れた演奏だ。つまり,彼女の隔絶したテクニックと非凡な音楽性が,ドヴォルザークの民族主義的なヴァイオリン協奏曲を現代音楽的なテイストで徹頭徹尾染め上げているからだ。まず,ドヴォルザークの楽曲をブラームスの作品のように緻密に織り上げられたテクスチャーのようにとらえる。ソロパートは可能な限り楽曲全体に溶け込ませ,一体化させる。そしてハーンのヴァイオリンはドヴォルザークの音楽を100%表現したうえで,それを支えている音楽そのものを彼女の現代的なテイストで表したようにきこえる。チェコの作曲家の作品を素材にして超歴史的な音楽を再現しているように聴こえる。現代音楽という枠組みをも乗り越えて,音楽そのものに迫り得たかのような演奏といえるような気がする。エストラーダとフランクフルト放送交響楽団もハーンにぴったりと付けているのは驚きである。

サラサーテのカルメン幻想曲をこのアルバムに加えたのは,ヒナステラのコンチェルトを聴いて緊張した心身をほぐすためなのではないかと想像する。とは言え,甘美な旋律を聴いてリラックスできるかといえば,そうとは言い難い一面も含んだ演奏である。ハーンはカルメン幻想曲でも妥協を排して,純粋にその音楽性を追求している。彼女はこの曲のスペインの異国的な要素とこの幻想曲が内に秘めるカルメンの女性的要素に反応して,それをヴァイオリンで表現したいという衝動に駆られているようでもある。音楽が持つ情動的な側面に反応するのも優れた演奏家に欠かせない資質である。

ヒラリー・ハーンは,正確この上ないテクニックを自在に操るヴィルトオージティと比類のない音楽性を併せ持つヴァイオリン奏者である。このアルバムを聴いて,この事実を一段と深いレベルで再確認した。彼女は紛れもなく天才的な音楽家である。
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