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2022年07月17日17:06

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チャクルム:『国境なきピアノ曲』(バルトーク,ミトロプーロス,サイグン,エネスコ)

【収録曲】

1 バルトーク:ピアノ・ソナタSz.80
2 ミトロプーロス:パッサカリア,インテルメッオとフーガ(1924)
3 サイグン:ピアノ・ソナタOp.76
4 エネスコ:ピアノ・ソナタ第3番ニ長調Op.24-3

ジャン・チャクルム(ピアノ)

録音:2021年5月17〜20日,テスマー・トーンスタジオ,ハノーファー
BIS BISSA2630(セッション)


新進気鋭のピアニスト,ジャン・チャクルムのアルバムを聴いた。彼は1997年,トルコのアンカラ生まれ。2012年からパリのスコラ・カントルムなどヨーロッパ各地で研鑽を積む。スコットランド国際ピアノコンクール(2017年)や浜松国際ピアノコンクール(2018年)で優勝を果たす。2019年にリリースされた彼のデビューアルバムはディアパゾンなど音楽専門誌で高い評価を得た。グラスゴー,東京,パリ,ロンドンなどでデビューを果たし,各国の有名オーケストラと共演するなど将来を嘱望されるピアニストである。

最近,リリースされたCD「国境なきピアノ曲」は,西欧の中心から少し離れたハンガリー,ルーマニア,トルコ,ギリシャの音楽に現代音楽のルーツを探る作品集。原題は’without borders‘なので,邦題を「国境なきピアノ曲」とするのは訳し過ぎだろう。ピアノ作品に対象を限定しているとしても「国境なき音楽」くらいが適切なのかも。チャクルムが選んだ作曲家は,バルトーク,エネスコ,トルコ最高の作曲家と目されるサイグン,そしてギリシャ出身の指揮者,作曲家,ピアニスト,ミトロプーロスである。

どちらかと言うと新人ピアニストは名曲中の名曲を集めたアルバムをリリースすることが多い。あるいはピアノ曲の古典とされる作品を集めたCDを世に問うことも一般的だろう。だが,チャクルムのように,その時に関心を抱いているニッチな音楽を録音したディスクを発売するのは大歓迎だ。たとえそれが冒険であったとしても,その新人がいかなるピアニストで,どのような音楽に興味があるのかがわかるので。それは硬直しがちなクラシック音楽の世界に新風を導き入れ,活性化を促す意味でも有効だ。

このディスクを聴くと,現代音楽が民族音楽から多くの影響を受けて発展してきたことがよく分かる。まず最初に指摘すべきはリズムだろう。次は西欧の音楽に慣れた耳に不協和音のように響く和声だろうか。各民族の日常に根差したメロディーもヒントを与えているようだ。日常生活から生まれたリズム,ハーモニーそしてメロディーの強靭な生命力に圧倒される。

このディスクはバルトークの「ピアノ・ソナタSz.80」で始まる。音楽の世界に深甚な衝撃を数多く与えたこの作曲家が,創造の源泉としたのはハンガリーの民族音楽。このソナタを作曲する頃には,自分の音楽の素材となる民族音楽を自分のものとする作曲家の能力は,創造,変貌,引用を区別することが不可能となる程度まで達していた。第2楽章はその驚くべき実例である。それは実在する音楽のアレンジでもなければ,模倣を試みたものでもない。音楽は完璧な独創性を有し,素材と作品とを区別することはできない。第1楽章はオーストリア=ハンガリー帝国が徴兵の際に用いた音楽の要素が用いられ,それはベートーヴェン中期のモチーフのように扱われる。第3楽章は,バルトーク初期の重くゆっくりとした音楽への告別である。それは不規則なリズムを持つ喜びに満たされた舞踏音楽で,コンサートホールと村の間に差し渡された音楽である。

2曲目は,複雑な構造を持つミトロプーロスの「パッサカリア,インテルメッツォとフーガ(1924)」。バルトーク初期のピアノのためのラプソディーOp.1と同じく,ミトロプーロスの初期の作品も超絶技巧とヒロイズムへの志向が顕著だ。バルトークとのもう一つの類似点は音列主義と新古典主義への接近である。この作品では,これら二つの傾向が目立ち,そのことがギリシャでは作曲家としての創造力が枯渇した証であると不評を買う。指揮者としての評判が上向いてきたこともあいまって,作曲から手を引く決め手になったそうだ。この作品で情熱がもたらす振れの大きさから距離を置き,主観を排除した客観性や冷淡ともいうべき率直さは,ミトロプーロスの初期の作品に対する自己批判とも考えられる。民族音楽が抱えるがちな一種のドロドロした要素とは無関係な,とてもスマートにきこえる音楽は魅力的だ。

このCDで3番目に来るのはサイグンの「ピアノ・ソナタOp.76」。彼が目標としたのは,西洋(ハーモニー)とトルコ(メロディー)の融合。ミトロプーロスの作品と比較すると随分と素朴な音楽にきこえる。ハーモニーとメロディーの融合といっても,この作品で支配的なのはメロディー。しかもあまり洗練されているとは言えない生の民族音楽とでもいうべき旋律がやたら耳につく。おそらくそのような指摘は承知の上で,トルコの音楽を西洋音楽と融合させるためナイーブなメロディーを持ち出したのだろうけれど。この作品は,作曲家がこの世を去る数日前に完成した。非常に主観的かつ内省的な作品であり,作曲家と民族音楽の関係を探る手掛かりを与える音楽といえる。民族音楽との関わりは理論的なレベルにとどまり,それは音階,和音やリズムの用法として作品のテクスチャーへ織り込まれているだけだ。サイグンの他の影響はより異彩を放っている,

最後はエネスコの「ピアノ・ソナタ第3番ニ長調Op.24-3」。この作品はサイグンのソナタと比べて洗練の極みをゆく音楽の一面を有する。第1楽章では,ピアノのサウンドは軽く繊細であり,なおかつ明るい曲想が特徴。第2楽章になると,音の連なりは静かで美しいメロディーへと変身する。フィナーレでは,第2楽章の軽い響きは基本的に維持したまま,テンポが心持ち速くなるものの音楽の静けさも元通り。ハンガリーの音楽の上澄みを掬い取ったような音楽にきこえる。エネスコのソナタを最後に据えたのは,口直しの意味なのだろうか。

このCDを真剣に聴き込んだおかげで,現代音楽に対して民族音楽がいかに大きな貢献を行ったかがよく理解できる。やはりバルトークという作曲家の偉大さがあらためて身に沁みる。ミトロプーロスの重要な仕事に接することができたのも大きな収獲だ。当時,作曲を習っていたブゾーニから否定的な評価を下されたことも一因で作曲活動に終止符を打ったのは返す返すも残念。
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