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2022年05月21日10:00

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人はなんのため生まれ、どう生き、どこへ向かうのか。

◇◆ 木霊 禅
誰しも「限界」があるわけですが、生命の周期やリズム、波動がもつ生来的な重要性があります。それは生きる意味とも関連し、瞬時の智恵と気づきのありかを直観的に把握して、光と闇の間に使命である伝達をすることです。物質界の闇へ光を運ぶわけです。
これを奉仕とできる生の愛と知恵の、「限界」を打破するような生き方こそが生の目標となるわけです。
どの人生の場でも、そのチャンスはあるわけですが、受容できる意味は意識の解放と接触領域の拡大という点にあります。
そのための、各自はもともとがエネルギーの受け皿としてあるわけですが、 くまなく気づいてその光(歓喜)を下へとまた送るのです。
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それが現象のこの物質界に私たちが霊的に生きる意味合いです。
先の夢も幻想世界も、人生にある弛緩と収縮、緩慢、周期的な活動、波動や、流入流出など、すべてがチャンスを提供してくれる場としてあります。…激しい活動や引きこもり、呼吸と同然の瞑想(観照)における集中や新たな意識への変換、気づきと智恵を呼び起こす沈黙、いわば「はざ間」からの、新たな上位環境への移行、再度顔を出す物質界での「自由」をふさぐ「限定」から、絶えず成長していくのがこの人生です。… エーテル的感受性とメンタル的な注意能力、全体的マインドの発達と情報の安定的で適切な理解がそのために役に立ちます。
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門戸を次第にすべての領域へと開けていく、眩しければ一時的に閉じはするも、しかし、方向性はハッキリしています。
「限定」という「苦悩」は、不可解な現象的・物質世界を生きる人間にとって、いわば、発進のエネルギーとなります。その生きる領域を上下両方向へ拡大させ、上は光の源、下は暗黒の闇に、届く必要があります。それをふさぐ物質界の牢獄は、自由のために、そのつど破壊されていくわけです。囚人を解放することが全体奉仕の目標となります。
死ですらそこでは、新たな周期を向かえる一時的な沈黙にすぎないのです。
どんなに苦しくしても、その幕間(まくあい)を楽しむ余力を、私たちはつねに持っていなければなりません。
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◆◇ 意識 つくろう
生と死の幕間、つまり、高齢化における現象的な着目(観察)が、「限定」(いわば、牢獄)に関連し、「魂」のレベルで役立つものです。
仏陀でいえば、「十二縁起」に相当するものが現象(物質)界の原因・結果としてあり、意識は絶えず「上は光の源、下は暗黒の闇」に届く余地があります。
石原慎太郎氏の遺稿に出てきた睡眠時の夢や、想念(思考)の範疇には日常茶飯事の幻想も、「幕間」(はざ間)機会の重要性に関係しています。
「幕間」としての高齢者が重要な時期となるのは、純粋な魂意識をもち合わせていたときです。それまでの人生体験を質量とするわけですが、格別特別なものを要するわけではありません。その種の偏見こそが見落とし人間進化の機縁にしてこなかった理由でもあるのでしょう。質量を光として生かしてこれなかった理由です。
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逆にいうと、歳をとったら楽をしようと思うことが、その観点での牢獄だったわけです。「はざ間」となるのは、物質(肉体)が衰えることによって生命(霊)との並走にずれが生まれるからです。
もっとも、普通の人も「病気」でのずれは同じでしょうし、睡眠時には誰もずれが生じます。
ただ筋骨の意志と意識の統御の戻りの点では、高齢者の場合は、自然条件で必然ともいえ、睡眠の場合は、宇宙に飛び立つ時間が増えます。肉体から離れるのが長い分、宇宙飛行士的鍛錬を要し、転べば簡単に骨折し寝たきりとなる。
だから、意志と意識の統御への復帰のため、楽をしてはならない。自分を牢獄の囚人としているのです。気持ちが弱くなるとは、過去の自分への劣等感のためです。
老化はそうした減衰や失敗を介し、過去の自分と比較するために、孤立意識や恐怖やあきらめを生む。また思考(想念)に、幻想も生みやすくなる。
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もっとも、反面同時にこれが気づきや知恵を生む貴重な要因になります。
一般には「成長的な理解と創造的な活動」といった脳と意識とエネルギー(光)に関する段階的成長についての社会の受けとめ姿勢が形成されていません。自ら(この社会は、大きな当てとなる)価値を放逐しているのです。
高齢者を排除すれば、社会の変革や進歩に結びつくという幻想を生んでいる。
もちろん、自我の牢獄で、欲や名誉に取りつかれた、中心層には迷惑な高齢者もいるのでしょう。
ゆえに、ひとまず人間世界に「死」がある。それにより完全にすべて物質的欲望から放たれ、神聖な全体性を愛ある精神で、この地球は保ち続けられている。
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◇◆ 中村 高徳
「苦悩」に関する整序
「苦悩は、中心なる太陽の温かさへと導く、孤独の冷たさ」といわれています。つまり、上昇するためのもがき、形態の粉砕や不満を介する学びといわれ、好きで無我夢中となれるから、山頂へ向かうとき生まれてくる障害や抵抗へより容易に勝てるようになります。「最後に生命の水の冷たさを知るための熔炉の燃焼」ともいわれ、現象界では「温かさ」と「冷たさ」の二元の両要素が並び立ち、それが深さへつながります。「楽しさ」を一方的に否定しているわけではないのですね。
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「苦悩は完全なる喪失の十字架であり、それが永遠なる賜物という真の豊かさの返礼を人に与える」「苦悩は父による勘当という錯覚であり、それが鞭を以て真直ぐに放蕩息子を父のハートに駆り立て、完全なる寺院建設の完成へと駆り立てる」。
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私たち放蕩息子は、不本意ながらその偉大な建設の壮麗な働きに同意するようになる。当初からその真の建設者と波動が一致していたわけではありません。
「苦悩」を通して初めて遭遇するのです。
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