雲笈七籤

　仏教には大蔵経というお経の一大叢書がある。それと同じように道教には「道蔵」と呼ばれる一大叢書がある。
　言うまでも無く、道教には様々な思想、技術が存在する。それを扱った道教の教典は多く存在するが、こうした書を集めた叢書が道蔵である。老荘思想を扱った書、錬丹を扱った書、道教の宗教儀式や祈祷の方法を説いた書、霊符などを扱った呪術書、占術書など、それに収録されている教典は多岐に渡る。
　中国の実践オカルティズムの視点から見ても、この道蔵は途方もない知の一大鉱脈であろう。
　しかし、（流し読みならともかく）これ全てを真面目に熟読しようとしたら、数年がかりの作業になるであろうし、ましてやこれ全てを深く研究しようと思ったら、とうてい一人の人間の生涯だけでは不可能であろう。

　「雲笈七籖（うんきゅうしちせん）」は、「小道蔵」とも称される。
　この書は、この膨大な道蔵を一冊の本に圧縮したような内容であるからだ。

　宋の時代。道蔵は既に存在はした。二代目皇帝の太宗皇帝の時代にも３７３７巻からなる道蔵が整理された。しかし、これは様々な点で不完全だったという。
　三代目皇帝の真宗皇帝は、1008年以降からいわゆる「天書事件」がひとつのきっかけとなり、道教の熱心な信者となり、道教を厚く保護した。
　そして、彼はより完全な道蔵を作るように命じた。この膨大な作業は王欽若を中心にした十人の博識な道士たちである。
　そこでまず４３５９巻からなる「宝文統録」なる教典の目録が作られた。そして、それをベースに作られたのが実に４５６５巻からなる「大宋天宮宝蔵」である。完成を見たのが、1019年のことである。
　この道蔵編纂の作業にあたった一人に、張君房という学者・道士がいたが、彼によってこの「雲笈七籖」は書かれた。彼は、この膨大な「大宋天宮宝蔵」の手引書、ダイジェｒスト版として、この書を著したのだという。もっとも、この書には張房君のオリジナルな文章はほとんどなく、道蔵の教典からの重要な記述の抜粋集の形を取っている。

　「雲笈七籖」の「雲」はもちろん天にある雲。仙界では大切な書は、雲の錦の袋に包まれ、玉の文箱である「笈」に納められているという。そして、七籖とは「七つの神の託宣」を意味する。この七つとは、道教教典の構成、洞真、洞玄、洞神の三洞、これを補完する太玄、太平、太清、正一の四輔をあわせたものである。これが書名の由来である。

　この「雲笈七籖」は全１２２巻からなる。
　１巻〜５巻は道教の総論的な解説で、「道徳」に関する記述記述から、道教の歴史、道と神についての基礎が記される。
　６〜２０巻までは、洞真、洞玄、洞神の三洞の最も基礎的な教典からの引用とその注釈である。
　２１〜２８巻までは天地に関わる宇宙論が説かれ、天文についても解説される。
　２９〜３１巻までは人間の存在にかんする考察がある。
　３２〜８６巻までが実践家にとっては重要であろう。ずばり、ここにおいて道士の実践修行の方法が具体的に解説されているのである。そこには瞑想の方法、呼吸法、錬丹術、仙薬の調合と服用、庚申待ちに至るまで、多くの実践が説かれる。特に重要なものが６３〜７３巻の「金丹決法部」であり、「気」を扱った内丹法の修行について説かれているのである。
　８７〜９５巻には、実践の基と成る理論について解説されている。
　９６〜９９巻までは道教の神々への賛詩、１００〜１１６巻までは仙人や高徳の道士たちの伝記となっている。
　１１７〜１２２巻は、道教がいかに優れた教えであるかを逸話を交えて主張する、一種の宗教啓蒙の書である。例えば、一人の男が「太上天童護命経」を人知れず読んだ功徳によって、鬼王の災厄から救われた霊験談が紹介される。さらにはこの経を読めば災難から身を守り、平安が得られるということを述べる「天童護命妙経序」を付してしめくくられる。

　この書はまさに、道徳に基づいた人生を有意義に生きるための処世術から、気を扱った内丹法、仙薬の調合、霊符の書きかたに至るまで、文字通りの道術の百科全書とでもいうべき名著であり、まさに「小道蔵」と呼ぶにふさわしい道教のエッセンス集なのである。

　この本は、中国書の専門店でも良く見かける。１冊のハードカバーに収録できる程度（あるいは上・下巻、活字になおした多いものでも５〜６巻）の厚さであり、この編纂力の凄さには驚嘆せざるをえない。
　道教の研究者のみならず、「気」の実践修行者たちのためにも、邦訳の出版が心底のぞまれる本のひとつであろう。