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2022年03月20日20:41

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「盛る」ことについて

『「盛る」ことについて』

不特定の人に、姿を見せずとも、
自己紹介する機会が多くなったというのが、
SNSの普及した現代の特徴かもしれません。

そして、SNS上で好印象を持たれるために、
要となるのは、やはり顔写真となります。

なので、顔で持たれる印象を、
できるだけ良いものにしようと、
顔写真を加工する技術が普及しています。

加工されているとすぐにわかるような、
不自然に肌艶のいい写真を見かけると、
もっとありのままでいいのに、という事を、
私はいつも思います。

人間は何故そんなにも、
自然のままの姿を隠したがるのでしょうか。

傷とかシミとか汚れとか、
そういうものをたくさん持ってこそ、
人間は人間らしいとも言えるはずです。

傷を隠し合う関係よりも、
傷を互いに許し合える関係の方が、
美しいのではないでしょうか。

聖書の中には、歴史上で活躍した人物が、
たくさん登場しますが、
立派な事ばかり書かれているのではなく、
それぞれの失敗や欠点が、
隠される事なく記されています。

何より、最初の人間は、
食べてはならない木の実を食べるという、
大失敗を犯します。

箱舟を作ったノアは、洪水を生き延びた後、
酒に酔って息子たちの前に裸を晒すという、
不名誉なことをしてしまいます。

ダビデという聖書の中の英雄は、
一国の王となった際、
王宮に人妻を連れ込んで関係を持ち、
その夫を間接的に死なせるという、
恐ろしく悪い事をします。

聖書の中の偉人たちは、
傷ひとつなく素晴らしい人物とは描かれず、
良いことも悪いことも、ありのままです。

聖書に書かれていることはとても正直で、
だからこそ信頼に足るのです。

そして、その事実が現わしているのは、
神様は私たちの傷や失敗を理由に、
見放したりはしない、という事です。

神様は私たちの傷や汚れについて、
鼻をつままず、赦してくださる方です。
赦されていることを知っているなら、
誰かの汚れについても、寛容でいられます。

この社会が、汚れを許し合える社会なら、
どんなに素敵な事かと思います。

そうである事を、切に願います。

いつも聞いてくださり、
ありがとうございます。

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