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2022年01月10日14:35

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黒人弾圧

黒人奴隷に対する白人による苛烈な虐待を描いた「Twelve years a slave」を見て(2回目)、暗い気持ちになる。

特にこれが実話に基づいている点が、すごい。黒人に対する奴隷制度は、米国ではなく人類の歴史上の最大の汚点、最悪の犯罪の一つだ。

米国の黒人たちは今なお、その悪影響によって苦しめられている。

怒りを込めて、2019年に発表した記事を貼る。
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チャールストンの奴隷市場(上)

 米国サウスカロライナ州の古都チャールストンの南部に、「フランス地区」と呼ばれる地域がある。椰子の木が立ち並ぶ道路はアスファルトではなく石畳で、古風な建物が目立つ。東南アジアのような豪雨が降り注ぐ中、私はこの一角で、欧州風の薄汚れた建物を見つけた。正面入り口の上部にはアーチが付けられ、鉄格子の門がある。アーチの上には「MART(市場)」という言葉が書かれている。壁の所々の漆喰が剥がれ落ちて、煉瓦の石材が顔を覗かせている。
 1859年に建てられたこの建物では、アフリカ大陸から米国に強制的に移送された黒人奴隷の競売が行われていた。19世紀にこの建物は「ライアンの市場」と呼ばれた。
 港町チャールストンは、米国南部で行われた奴隷売買の中心地だった。ここでは19世紀前半から、公共の市場で奴隷の競売が行われていた。
 しかし米国の北部を中心に奴隷制度を批判する声が強まったため、チャールストン市役所は、1856年に奴隷売買を禁止した。だがそれ以降も町のあちこちに闇の競売所が作られ、奴隷売買が行われていた。奴隷商人の1人トーマス・ライアンは、この建物に奴隷を拘束して、郊外で綿花や米の農場を経営する白人たちに奴隷を売った。チャールストンには、一時このような闇の奴隷販売所が40ヶ所もあった。この建物では、1865年2月に南北戦争で北軍がにチャールストンを占領するまで奴隷の売り買いが行われていた。
 奴隷は無料の労働力として、米国南部の経済成長に大きな役割を果たした。1860年のサウスカロライナ州の人口の57%が奴隷だった。
 だが彼らの境遇は悲惨以外の何物でもなかった。アフリカで捕らえられた黒人たちは、帆船に詰め込まれて米国に移送された。航海は3週間〜3ヶ月も続いた。時には600人を超える黒人が鎖につながれたまま船倉に押し込まれた。劣悪な衛生状態と疫病のために、5%〜18%が航海の途中で死亡した。遺体は海に捨てられて、サメの餌となった。
 400年間にアフリカ大陸から米国に強制的に送られた黒人たちの数は、約1200万人にのぼる。
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チャールストンの奴隷市場(下)

 アフリカで拉致された黒人たちは、長期間の航海と船内での劣悪な衛生状態のために衰弱していた。彼らはチャールストンに着くと、体力を回復させるために休息と運動の機会を与えられた。奴隷たちは奴隷商人と農場主たちに巨額の富をもたらした。
 この町には、19世紀後半の奴隷競売所「ライアンの市場」の建物がある。裏には4階建ての留置場があり、奴隷たちはここに拘束された。奴隷商人たちは、年配の黒人の白髪を隠すために髪の毛を黒く染めた。また奴隷たちは、肌につやを持たせて健康に見えるように、身体に油を塗られた。奴隷が高く売れるようにするためだ。
 南部では、奴隷たちは人間ではなく商品だった。ある広告には「病気にかかっていない、元気な黒人250人が入荷しました」と書かれている。
 1860年の男の奴隷の値段は1人あたり1500〜1600ドルだった。現在の価格で3万6000〜3万8000ドル(396〜418万円・1ドル=110円で計算)に相当する。
 奴隷の家族たちはしばしば競売所で別々の農園主に売られ、生き別れとなった。奴隷たちは家畜のように鉄の首枷や足枷を付けられた。彼らは農園から脱走を図ると、見せしめのために厳しい刑罰を受けた。ライアンの市場跡は1938年以来、奴隷制度の悲惨さを市民に伝えるための博物館になっている。奴隷を罰するために使われた革の鞭が展示されている。苦痛を増すために、鞭には無数の金属のネジが埋め込まれていた。
 当時に比べると大幅に改善したものの、米国社会での白人と黒人の間の格差は今も残っている。その意味で、奴隷制度の傷痕は今も完全に癒えてはいない。
 ライアンの市場は、サウスカロライナ州に残る唯一の奴隷競売所跡である。奴隷制度の実態を伝える貴重な歴史遺産だ。だがチャールストン市役所がこの建物を購入して管理し始めたのは、1990年代になってからだ。建物は老朽化が進んでおり、私が訪れた時には屋根の雨漏りがひどかった。床には、屋根からの雨水をためるバケツが3個置かれていた。チャールストンで働くある白人は、この博物館があることすら知らなかった。
 米国人によるアフリカ人の拉致と奴隷化は、歴史上最悪の犯罪の一つだ。米国の様々な矛盾の根源でもある奴隷問題については、今以上に啓蒙活動を行うべきだ。社会全体でこの問題と批判的に対決するために、連邦政府や市役所はこのような博物館のための予算を増やすべきだと思う。
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