『三位一体について』
神様は一人であり、かつ三人である、
という考え方は、
普通に、変な事に聞こえます。
数の数え方を知っている人間にとって、
一と三は、異なる数なのです。
しかし、クリスチャンは、
この論理的に正しくないと言える事を、
真面目に信じています。
神様は唯一の方であり、かつ、
父と子と聖霊は、すべて神様なのです。
人間の考える事には限りがあり、
神様は人間の考える枠の外に存在する、
という理解をするなら、
そんな矛盾も真実なのだと、
受け止められるかもしれません。
神様が人間の考えの中に収まるのなら、
それは神様ではないのです。
しかし、論理的に正しい必要はない、
という事を言ってしまえば、
だったら何でもいいじゃないかという話に、
なってしまうのかもしれません。
でたらめな事を言って、
論理的ではないそのでたらめな事も、
神様は論理を超えているのだから、
信じるに値するのだ、と言えてしまいます。
それはとても馬鹿馬鹿しい話です。
私はこの、三位一体という考え方は、
とても好きです。
例えば、真善美とか、心技体とか、
三つの概念をひとまとまりにして捉える、
という事があります。
三つあるからこそ現わされる一つのこと、
というものがあるのだと思います。
そして、三つある事によって、
それぞれの間に「関係」が現わされます。
例えば、愛とはとても大切なものだと、
大抵の人は理解しています。
しかし愛するとか愛されるという事は、
誰かと誰かの間に関係がなければ、
現わされることはないのです。
三つのことが関係を持つ故に、
現わされる一つの真実があるとしたら、
一つであり、三つであるという事も、
おかしなことではないと思うのです。
この理解の仕方が正しいかどうか、
という事は、私には分かりません。
ただ、理屈ではわからなくても、
心がそれを支持していますし、
私はこれを、真理として受け止めている、
という事は確かです。
いつも読んで下さり、
ありがとうございます。
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