mixiユーザー(id:6002189)

2021年05月23日14:21

85 view

昭和40年代の空気

2008年に書いた記事です。


日本でもインターネットを通じたソーシャル・ネットワーキングが爆発的に流行っており、若者を中心に数百万人が利用している。年配の方の中には「出会い系のうさんくさいウエブサイト」と思われている方も多いだろうが、実態はそうした先入観を通り越して、猛烈なスピードで発達している。たとえば、私がミュンヘン日記を本名で公開しているあるウエブサイトでは、20年間以上音信がとだえていた中学校の同級生たちが私を見つけてメールを送ってきた。日本とドイツの間の1万キロの距離が、インターネットによって克服される。すばらしいことである。
ソーシャル・ネットワーキングのウエブサイトには、何万というコミュニティがあるが、面白いのは学校など、ローカルなコミュニティである。私が卒業した府中市の公立小学校、公立中学校のコミュニティも見つけた。その中学校のコミュニティでは、校歌を作曲された音楽の先生が今も元気でおられることを知った。コミュニティに掲載された校歌を見ると、昭和40年代の空気がじわーっと伝わってくる。「夢は遠く 夢はたかく 夢ははばたく 歴史を越えて きょうもまた 努力にまさる 力はなくて 至誠にまさる わざはなし(市立府中第七中学校・校歌より抜粋)」
ドイツなどヨーロッパの学校には校歌という物はない。そう考えると、日本社会では企業と同じように学校に対しても、校歌によって帰属意識が育まれるということが理解できる。ついでに私が卒業した小学校の校歌も探してみた。「また 清らかな多摩川の
早瀬を進む 若あゆが きらめきおどる いきおいで 育とう きょうもと 声あがる
府中 おお 府中第七小学校(市立府中第七小学校・校歌より抜粋)」
今読んでみると、いささか面映くなってしまうほど、純真で前向きな歌詞である。これらの校歌には、戦争の痛手から立ち上がった、高度経済成長期の日本人たちが未来に対していかに大きな希望を抱いていたかが感じられる。アスファルトで舗装された道路は少なく、テレビも白黒。家の中はおろか、地下鉄やバスにも冷房はなかった。海外旅行なんて、夢のまた夢。学校の校舎は木造で、階段を歩くとギシギシ不快な音がした。当時の日本は今よりもはるかに貧しかったが、人々は未来が今よりも良くなることを真剣に信じていた。我々は当時の日本人がめざしていたような社会を築くことに成功しただろうか?
こうした昭和40年代の空気を感じさせ、今日の日本社会の在り様についてまで考えさせてくれるインターネットは、やはりすごい発明である。
(文と絵・ミュンヘン在住 熊谷 徹) 


2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する