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2021年02月11日15:33

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あの素晴しい愛をもう一度

この国の人たちは、同じものを肩を並べて一緒に眺める横の愛を好みます。体験をともに確認できることが醍醐味なのに、今は全くできない。会えないこと以上に、横のつながりが絶たれていくことが苦しいんじゃないのかな。

「あの素晴しい愛をもう一度」発表から50年 作詞・きたやまおさむさんと考える「愛」新聞記事より抜粋

今も歌い継がれる「あの素晴(すばら)しい愛をもう一度」。ちょうど50年前の1971年に発表された。学生運動が終わり、若者がこれからどう歩んでいくか模索していた時代だ。作詞した精神科医のきたやまおさむ(北山修)さん(74)には、新型コロナ禍で先行きが不透明な今の社会と当時とが重なってみえる。どう向き合えばいいのか。きたやまさんと、あの「愛」についてもう一度考えた。(木原育子)

◆現在 個を物理的に分断したコロナ禍
 どうしようもなく切ない歌でもあるのに、今日もどこかで歌われ続けている。
 「この詩は恋愛とか青春とかを描いたというよりは、日本が大事にしてきた横のつながりの文化を描いた歌です。連帯感とも言い換えられるかな」
 きたやまさんが歌に込めた思いを語り始めた。
 「この国の人たちは、同じものを肩を並べて一緒に眺める横の愛を好みます。お花見や紅葉狩り、花火もそう。同じ景色を見て、みんなで『きれいだね』って確かめるのが好きなんですよね」
 歌が生まれた一九七一年は高度経済成長真っただ中。学生運動の「熱」が去り、フォークソングが全盛期を迎え、一人一人がそれぞれの幸せを求めた新しい時代でもあった。一方で、「価値観が多様化し、家族で同じものを楽しまなくなった。そういったこれまで大事にしてきた日本の文化みたいなものが壊れていくのを目の当たりにした時代に作った歌でした」
 その喪失感は新型コロナウイルスの感染が蔓延(まんえん)し、人との物理的なつながりが強制的に分断され、バラバラになっていく様相と何だか奇妙に重なるという。
 「海外に行ったりライブハウスに行ったりする時の楽しみって、体験をともにする横のつながりを確認できることが醍醐味(だいごみ)のひとつでしょ。今は全くできない。喪失感を丁寧に紐解(ひもと)いていくと、会えないこと以上に、横のつながりが絶たれていくことが苦しいんじゃないのかな」
 「この取材だって、そう。ぼくは今、Zoom(ビデオ通話システム)で取材を受けていて、便利だけれどやっぱり違う。画面越しに向き合ってはいるけれど、両側には誰もいない」

◆横のつながりの分断が、心の中もむしばんでいく。
 「新型コロナの状況で、日本人の深層心理は非常に分かりやすい形で展開しています。不潔恐怖的な心性だったり、行政からの休業要請に応じない飲食店に匿名で嫌がらせする『自粛警察』といった同調圧力だったり。究極的な状況下で歩調を合わせないと犯罪者のように扱う、この国の負の側面がよく出ています」
 負の側面は新型コロナ前から目立っていた。いじめやSNS(会員制交流サイト)での誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)が典型的な例だ。きたやまさんはそれを昔話をもとにした戯曲「夕鶴」に例える。
 けがをした鶴が、助けてくれた人間の元に舞い降りる。鶴は女性に変身し、自身の羽根を犠牲に機を織って尽くす。しかし、女性が鶴だと分かると、人間はこぞっておとしめ、鶴は天に去っていく。
 きたやまさんは「ぼくたちは本当は動物なのに、知恵を付けて人間のふりをして生きている。本当は誰だってこの夕鶴なのに。誰もが傷ついて、反物がいつ織れなくなってもいいほど無理をしている。ターゲットになるのが怖くて、鶴であることを精いっぱい隠す。でも誰かが鶴だって分かると、自分を守るために総攻撃するんだ」と話す。

◆50年前 連帯感失った高度経済成長期
 国の統計によると、昨年に自ら命を絶った人は約二万一千人。新型コロナで亡くなった人の六倍ほどに達する。
 「いろんな理由があるでしょうが、総攻撃を受けると、天に去った鶴のように、自分だけが無力で、自分だけが傷ついて、自分だけが周囲の足を引っ張っているように思わせてしまう。そういうプレッシャーを感じさせる物語が、この国の文化にはしっかりと組み込まれている」
 誰が、何のために組み込んだのだろうか。
 「権力者や強者にとって都合がいいからです。無力な者は去ってくれた方がいい。そういう一面があることを、教育としてちゃんと知っておかなければならないと思います」
 無力を克服するために、人間は言葉や技術を使えるようになった。「馬や牛などは、人間に飼われることになっていますが、彼らは生まれた直後から、自分の足で歩いて食べ物を取りに行く。人間は哺乳類の中で、最も未熟な状態で生まれてきますね。誰かの献身的な育児なしで、生きられない未熟者です。もっと言うと、生まれてからは必死に生き延びているだけにすぎないかもしれない」
 「ぼくは周囲からみると、結構面白い人生を歩んでいるとみられがちですが、本人の主観からすれば本当にろくでもない。いつまでたっても『帰って来たヨッパライ』。幸せになろう、がんばろうって言っても、結局は『天国から追放されたよ』って笑った方が自然な時もある」
 「ぼく自身のノオト」(創元社)。きたやまさんは一月下旬にこのエッセーを復刊した。七六年に米国で出版され、七九年に三十三歳だったきたやまさんが翻訳。世界で五百万部のベストセラーになった。ベトナム戦争が終わったばかり。米国では多くの若者が次の時代を模索していた。
 「これからどう生きていけばいいのか見失っている人たちにとって、この本がヒントになるのではないかと考えた。最近はインターネットからの情報は見るけれど、自分の心の中は見ない人が多い。でも人間には心の外だけではなく、心の内にも現実と同じぐらいの広がり、スペース、宇宙がある。忘れないでほしい」
 本の中にはこんな一節がある。「そもそも孤独というのがおかしな呼び方だ。ぼくにとって独りでいることは一緒にいることを意味する。ぼくにとって孤独とは、ばらばらになっていた自分のいろいろな面を元に戻すことをとくに意味している。孤独になることは自分を愛して正しく認識するためには欠くことのできない大切な行為だと信じる」。きたやまさんが気に入っているページの一つだ。
 「いつも誰かと会い、交流しているから、私っていうものだけになる瞬間を今まで持てなかった人もいるんじゃないかな。孤独は避けることではなくて、自分を考える絶好の機会です」
 あの「愛」に話を戻そう。語り継がれる名曲には、歌詞が三番まである。三番は、広い荒野にぽつんとひとりぼっちでたたずむところで終わる。
 「コロナ禍で多くの人が、三番で止まっているかもしれない。三番までの日本人の横のつながりは、似たもの同士になりやすかった。日本人のつながりは一見良さそうだが、『あの素晴しい愛』の輪に入れないと、村八分(むらはちぶ)を生んだり差別や攻撃を受けたり、あの鶴のように大変な目に遭う」
 だから、それぞれで四番を創ってほしいときたやまさんは望む。
 「人種を超え、文化を超え、世代を超え、性差を超えたところでの横のつながりを伴った言葉をつむいでほしい。皆さん、次のステージに立つ用意はできていますか」

きたやま・おさむ 1946年兵庫県・淡路島生まれ。京都府立医科大在学中の65年、故加藤和彦さんらと「ザ・フォーク・クルセダーズ」を結成し、67年に「帰って来たヨッパライ」でデビュー。68年の解散後は「あの素晴しい愛をもう一度」などを作詞し、その後、精神科医に。71年の「戦争を知らない子供たち」では日本レコード大賞作詩賞を受賞した。教壇にも立ち、九州大教授、白鴎大副学長を務めた。専門は精神分析学。
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