進化心理学によれば、人間は「正しい行動」よりも「間違っていても良いから、皆と共有できるルールを選ぶ」ものらしい事になっている。
世間のルールには合わなくても、信仰している教会「の中」では、教義独自の規範が用いられることと同じ。
どうしてよいか判らないこのコロナについては、無数の専門家の言とともにデマと臆測が無限に溢れていて、もはや1市民には「こうすればいい」は見つからない。
そしてリアルの世界を見てみれば、品不足と言いつつどこで手に入れたのか、みんながマスクをつけている。
言葉ではない。ここでは本能がヒトに指示を命ずるのだ。
「マスクだ」「あれが良いに違いない」「あれさえあれば助かるのだ」
「だってみんながしているのだから」
これで店内に座り込んで何時間でも待つのだから、むしろそっちのほうが不特定多数の呼気と触れ合うと思うのだが、当事者にはそれは判らない。
「悪代官はコロナ」「水戸黄門はマスク」
もっの凄くシンプルな、そんな図式に変換されている。
「これさえやっときゃあ間〜違いない!」
ムリ。こーなった人にはなにを言っても無駄。
会員制にして、予約で売ったら?
「1住所に1組だけ、月に1回だけ」にして、顧客リストで管理でもしなきゃ。
■マスク争奪戦「ゲリラ販売」でも限界…ドラッグストア、「店内待機」する客に苦慮
(弁護士ドットコム - 04月14日 10:31)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=149&from=diary&id=6046062
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