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2020年11月29日20:42

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ルーシー

秋の夜長、というよりは朝晩の冷え込みがそろそろ冬っぽくなってきた。先週まではカサコソと足元の感触が楽しかった街路樹の落ち葉も、そろそろ落ちつくして裸の枝が寂しそうに風に揺れている。

アメリカの大統領選でトランプが理不尽な敗北(もう決まりだろ、いい加減に)をしてからこっち、どうも時事ネタに触れるのが億劫になってしまい、ウイスキーを片手に現実逃避的、古いジャズと村上春樹的世界に浸ってばかりいる。

ところでスヌーピーとウッドストック、チャーリーブラウンといえば、アメリカの国民的漫画、ピーナッツブックなのだが、僕は小学生の頃から読んでいるからもう半世紀以上の付き合いになる漫画ということになる。

特にスヌーピーに代表されるキャラクターの人気の割には、その内容についてはあまり語られることがない漫画でもある。特に大きなアクションやストーリーがあるわけでもなく、妙に老成した登場人物たちの内省や独白ばかり、少なくても子どもが読んで面白い内容では決してないはずで、むしろ子どもたちの世界に場を借りながらも、日常の生活に疲れ気味の大人たちに共感を呼ぶ内容のものが多い。だからこそ半世紀以上にわたってアメリカの新聞に連載続けられたのだろうけれど。

夢想家のスヌーピー、常にルーザーの悲哀を背負い続けるチャーリーブラウン、哲学的思考に浸りつつも安心毛布が手離せない不安定なライナス、子供用のピアノに向かいひたすらベートーベンを弾き続けるシュレーダーなどの、完全に自分にしか興味のない登場人物たちの中で、ほとんど唯一他人に関わり続ける存在なのがルーシーという女の子である。

自己表現、エゴの拡大、分析。彼女がピーナッツブックの世界の中で担当する分野は唯一無二の特殊なもので、その上に自他ともに認める意地悪な性格が加われば、おそらくピーナッツブックの世界の中では一番人気のないキャラクター、むしろヒールとしての役割を担わされている存在だ。

でも、陽だまりの老人的な自己完結した世界の中で生き続ける、男性陣の登場人物だけではピーナッツブックの世界の中ではおそらく何の事件も起こらず、ストーリーらしいストーリーはいっさい成立しないのではないか。彼女の存在のみがピーナッツブックの世界の中で波風を立て、ストーリーを前に進める役割を果たしている。そういう視点で見ると、実に重要なキャラクターであり、ピーナッツブックの世界の中では彼女こそが押しも押されぬヒロインなのだ。

現実に彼女のようなキャラの女の子がいたとしたら、やはり嫌だろうなと思う。でも実際、特に職場の世界においては彼女のようなキャラの女子は結構見かけられて、会社にとってはそういう存在が重宝されるというのはよくわかる。夢見る男子ばかりじゃ競争には勝てない。

まあ、今の職場にもそういう感じの女の上司がいてかなり疲れるのだが、そこはGood grief.と決して張り合うことなく、100%勝ちを譲って従うしかない。でもな〜、She alwayas has to win.なんて囁かれる女子ってのは、やっぱり疲れるんだよね。と、遠回しな愚痴。こういう遠回しな感じってのがまた嫌な感じなんだろうな、というのはよくわかる。

今週の映画は「エジソンズ・ゲーム」(監督:アルフォンソ・ゴメス=レホン/出演:ベネディクト・カンバーバッチがトーマス・エジソン、マイケル・シャノンエ)を観ました。19世紀、アメリカは電気の誕生による新時代を迎えようとしていた。白熱電球の事業化を成功させた天才発明家エジソンは、実業家ウェスティングハウスが交流式送電の実演会を成功させたというニュースに激怒したエジソンは、ネガティブキャンペーンで世論を誘導しようとした…。

エジソンというと日本では偉人伝に登場する発明王という認識しかないのが普通で、ウェスティングとの泥仕合的ストーリーが日本で紹介されたのも割と最近の話という気がする。エジソンという人物が実に嫌味な人間だったというのが描かれている映画で、逆に言えばそれだけの映画であるので、たいして面白くない。

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