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2020年10月24日05:48

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健全な自己否定

『健全な自己否定』

「自己肯定感」という言葉を、
この頃よく聞きます。

コロナ禍の中で、変化した生活に適応できず、
自分に自信を持てなくなっている人が増えている、
という事でしょうか。

ネットのニュース等で、
良くこの言葉が出ているように思います。

そして、自己肯定感が低い、という人が、
そんな自分を変えようとするため、
自己肯定感を高める方法が、
あちこちで紹介されています。

運動をするとか、日記をつけるとか、
ネガティブな言葉をポジティブに言い替えるとか、
自己肯定感を高めるためのノウハウが、
いろいろとあるようです。

自己肯定感を高めようとする取り組みは、
それはそれで意味のあることだと思います。

私も、どこかの精神科医の話の受け売りで、
脳の衰え防止のために運動をするとか、
寝る前に一日の良かったことを日記に書くとか、
今年はそんな事を続けています。

そしてその結果、
とても調子よく過ごせていると思います。

しかし、ひとつこの頃思うのは、
自己肯定感を高めるという事自体、
自己肯定感が低いと評価している、
自分自身を否定することだ、という事です。

自分を好きにならなきゃ、と思っている自分は、
自分を好きにならなきゃならないと思っている訳で、
つまり、自分が嫌いなのです。

自分が嫌い、という事をベースに置いている限り、
いくら自分を好きにならなきゃと努力しても、
自分が嫌いである事から抜け出せないのです。

そこで私が思うのは、
だったら最初はとりあえず、
自分が嫌いでいいじゃないか、
という事です。

自分を卑下するとか、歪んだ形で、
マイナスの自己像を持つ必要はないのです。

つまり、健全な自己否定、
という事ができればいいのです。

聖書によれば、
人間は生まれながらに「罪人」です。

自分の罪を認め、罪人という自己認識を持つ、
という事が、
聖書の中では正しい事なのです。

しかしそれは、自己肯定感を持つな、
という事を言っているのではないのです。

人間は皆、生まれながらに罪人で、
みじめで卑しい存在だけど、
そんな自分を神様は愛してくれていて、
神様がOKと認めてくれるから、
自分を自分でOKと思える、というのが、
人が人らしくいられる、
最適な自己理解なのです。

自己肯定感が低いとしても、
そんな自分を自分でOKと思う事は、
いろいろ頑張っても、実はできない事です。

しかし、神様を認め、神様との関係の中で、
自分をOKと思う事ができれば、
自己肯定感が低いとしても、
明るく元気に生きられるのだと思います。

神様が愛してくれている、この自分自身を、
神様の創られた最高傑作として、
大切に思うことができるのです。

是非最寄りのキリスト教会にご連絡下さい。
きっと良い出会いがあります。

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