『自分の願い事と神様の答えについて』
何か願い事があるとして、
それが思った通りに叶えられるという事を、
誰でも期待します。
そして、願った通りになる事を、
神様仏様にお願いする、という意味合いで、
多くの人は「祈る」という事をします。
それが、一般的な日本人の「祈り」であるとして、
日本の中では少数派である、
クリスチャンの祈りは、それにもう少し、
具体的な意味があるようです。
自分の願いがある、という事は同じですが、
それに加えて、自分の思いとは違う、
「神様の御心を求める」という事を、
クリスチャンは祈りを通してするのです。
自分の願った通りの事が、
いつまでも起こらないとしても、
願った通りではない今であったとしても、
それが神様の答えであるならそれでいい、
と思う事の出来る考え方が、
クリスチャンの中にはあります。
それじゃあダメじゃないか、
願った通りじゃなきゃ困る、
と思う人もいるかもしれません。
確かに、自分の願いが叶えられる事を、
誰でも求めますし、
神様がそれを叶えてくれないのなら、
神様なんて頼りない、
という事になるかもしれません。
しかし、ひとつの考え方として、
自分は自分自身の事を、
実はあまりよく分かっていない、
という事があります。
自分の事は自分が一番わかっているようで、
実は、自分にとって何が最善かなんて、
これだと断定できるほどに、
自分は分かっていなかったりするのです。
美味しいと思って、
甘いものを食べすぎるとか、
気持ちいい事を続けると、
それが実は体に害をもたらしている、
という事もあります。
知識や情報によって、
ある程度は良いものを選び取る、
という事ができるかもしれないけれど、
根本的に何が最善か、という事は、
神様にしか分からない、
という場合があります。
そして、いつも確実に、
良いものを選び取れるような強さを、
人間は持っていないのです。
だから、神様が一番良いものを与えてくださる、
という事に信頼して、祈りながら、
今与えられている事が、
神様の与えてくれた最善だと信じて、
感謝して受け取ることができるなら、
とても素敵な事です。
神様への信頼が強ければ強いほど、
今の自分が過去に思い描いた通りでないとしても、
これが神様の与えてくれた最高のもので、
今素晴しいものを受け取っている、
という事を確信することができます。
まさかそんな風に思えない、
今最高に悲惨でぐちゃぐちゃな状態、
という人もいるかもしれません。
きっと、本当の神様との関係が与えられる事で、
そのぐちゃぐちゃな状況は整えられます。
信頼の置ける、真実の神様がいらっしゃり、
その神様との関係が真実なら、
間違いなく最善が与えられます。
是非最寄りのキリスト教会にご連絡下さい。
きっと良い出会いがあります。
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