mixiユーザー(id:6002189)

2020年10月17日00:57

109 view

アルコール

2004年に書いた原稿です。

アルコールという悪魔

 日本で夜に電車に乗ったり、繁華街を歩いたりすると、お酒を飲みすぎて、前後不覚の状態に陥っている人をよく見る。ところがドイツでは、公の場で酩酊状態になっている人を見ることが、日本よりもはるかに少ない。その理由の一つは、酒に酔ったことをはっきりと人目にさらすのが、恥ずべきことと考えられているためである。

日本では、酒を飲んだ時に性格が変わったように、横柄で乱暴な態度になったり、酔いつぶれてしまったりする人に対しても、それがあまり頻繁でなければ、周りの人は「まあ、あれは酒の席でのことだから、大目に見よう」とか、「きっといやなことがあって、酔いつぶれたかったのだろう」と考えることが多い。だが、ドイツにはこのような、ある意味で寛容な態度はない。酒を飲んで酔いつぶれるのは、自分をコントロールできない、弱い性格の表れと見なされ、軽蔑されかねない。

もう一つ、公衆の面前で酔いつぶれる人が少ない理由がある。それは、我々日本人に比べてアルコールに対する許容量が高いのである。日本ではビールやワインをグラスで一杯飲んだだけでも、顔が真っ赤になってしまう人がよくいるが、ヨーロッパではあまりそういう人を見かけない。これは、身体のつくりの違いによるものであろう。ドイツでは、日本と違って、ビールやワイン一杯くらいならば、酒を飲んで車を運転することが許されている。血中のアルコール濃度が一定の水準を超えなければ、飲酒運転とみなされないのだ。しかし、この酒に対する強さが、ドイツではある深刻な問題を生んでいる。

 二000三年も押しつまったある日、十四年前から知っているドイツ人Bから、一通の電子メールが届いた。彼は八年前にドイツの日本企業の駐在員事務所から解雇された後、仕事を見つけることができず、アルコール依存症になって、病院に入院したり退院したりする生活を繰り返していた。失業してからは、強度のうつ病にもかかっていた。「知り合いの女性の家にいそうろうしていたが、きのう喧嘩になり、追い出された。今は公園で寝起きしているが、とても寒い。数日前からろくに物を食べていない。少しで良いから、お金を送ってくれ。こんなお願いをするのは、恥ずかしいが、どうしようもないくらい困っている。一度でいいから助けてくれ」メールの末尾には、銀行の口座番号が書かれていた。

彼が失業して困っているという話は聞いていたが、金を無心してきたことは、これまで一度もなかったし、まさか家の中でも寒いドイツの冬を、路上で過ごすまでになっているとは、知らなかった。ホームレスとなったBは、おそらく、インターネット・カフェからこのメールを送ってきたのだろう。メールには、「金が夕方には口座に入るように、至急便として振り込んでくれ」とまで書いてあり、困窮している様子がうかがわれた。

Bは日本企業で働いていた頃は羽振りがよく、ポルシェのスポーツカーに乗り、食事を何度かおごってくれたことがある。私は妻と相談して、なにがしかの金を口座に振り込み、「酒を買わないようにして下さい」というメールを送った。彼はメールの中で、一緒に住んでいた女性もアルコール依存症だったと書いていた。病院を出た後は、酒を断っており、食事の時にも水しか飲まなかったのだが、再び悪魔にとりつかれたのであろう。

Bは、ドイツでアルコール依存症に苦しむ百六十万人の市民の一人にすぎない。定期的に大量の酒を飲む市民も含めると、アルコールのとりこになっている人の数は、八百万人にのぼるが、これはドイツ市民の十人に一人にあたる。厚生労働省によると、わが国では日本酒に換算して一日あたり三合以上飲む大量飲酒者は、成人男性の四%、女性の0・三%にすぎず、ドイツでのアルコール問題は日本よりもはるかに深刻であることがうかがわれる。日本人なら泥酔してしまうような量を飲むことができる身体であるために、アルコール依存症になる人も多いのかもしれない。

学生の頃にルール工業地帯で知り合った、ある労働者は、施設でリハビリする前には、シュナップスという、とうもろこしから作るウオッカのような強い酒を、毎日一本ずつ空にしていた。ミュンヘンのあるサラリーマンは、客を接待する際に、昼食の時からシュナップスのびんを一本空けて平気な顔をしていたが、ある日心臓まひで亡くなった。いずれも典型的なアルコール依存症である。

パーティーやレストランで飲む少量のアルコールは、気分を明るくしてくれることもあるが、過度の飲酒は自滅への近道でもある。Bがふたたび酒を断ってくれることを望んでいるが、残念ながら確信が持てない。金を振り込んだ後、Bからまったく便りがないのが、気にかかる。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する