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2020年09月13日14:41

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Tsu白ma yuko詩画集「四角形の球体」を読む。

はい。
作者は20代のLadyだが、この詩画集に収められた作品から受け取るセンスは痛ましいほどGirlだ。実際、中学生時代の作品も収録されているという。覗いてみよう。

「無視しないでよ」の一節。「不器用なアイロニーは愛の牢獄/偶像は虚像 無意味で空虚な実体/積極的なニヒリズムの隣人は/厭世的な思考とそれを包括する社会性で/薄明かり便器の上で体育座り/そこで飲む酒は深くにも美味くて/もううんざりだよ」。この体育座りという姿勢の持つリアリティー。
「現実批判」から。「現実も嘘まみれだし、/インターネットも嘘まみれだよ。」。あまりにも剥き出しの叫び。
「底辺、気が触れるほどに」から。「赤いネイルと黒い服をキメて渋谷/都会に出ると気が触れそうになるんだ/それぞれの思想が哲学が交差し重なり合って/何が生まれる 何か生まれる それは心」。Girlの感受性が放り出される都市という場所。それは「田舎と都会」という作品で直接断言される。「田舎は静かに狂ってる/都会も静かに狂ってる/それなりの優しさと共に狂いがある」。冷静な観察と省察。
「空白」では「なにも要らないことがいちばん満たされていて、なにもないことこそ、とても幸せなのかもしれない。」と呟く。それでもなにかを求める不幸せ。
「喫煙所ノイズ」から。「喫煙所の椅子には少し大きい赤虫がちらつく/わたしはヤンキー座り/ヤンキーでもインキャでもないわたしは/ぷかぷか浮かせる煙を吸って吐きながら/まだ微妙にこない夏を想い続けている」。「わたし」は一体何者だろうか。
「旅」では「田舎は東京/故郷は東京」と嘯く。ここでECDの「ないものはない/でかい故郷」という「TOKYO TOKYO’97」のリリックを想起するのも無益ではないだろう。
「拝啓、わたしへ」から。「お元気ですか?/たぶん元気だけど/相変わらずの如く 死にたくなってない?/体と心は=じゃないことがあるもんね/わかる わかる」。敬具のない自己への手紙は「だから生きて」で結ばれる。
「わからん」から。「腹が痛い/人はどうしてそんなにアホか/わたしにはわからん」。その「わたし」もまた「人」であるという厳粛な事実。
「天使なんかじゃない」は壮大な問答。「Q.生きることは人生や人間の研究で、それに準ずる文化か?」。この問いに「いま、一瞬の延命/いま、一瞬の延命」と交わし、その集積が「A.それがたくさん集まって、いまを生きれるのです」と応える。そう「答え」でなくして「応え」。
「memento mori」は切実さの結晶だ。「最低だ/死というものを実感していく/ゆっくりゆっくり/これまでにないスピードで じわじわと/侵食していく/ふとした瞬間に」。生きゆくことが死にゆくことだと気づくこと。生は緩慢な自殺だと覚醒すること。このGirlはそのことに自覚的だ。

この詩画集をぜひ手に取って、読んで、見て、感じてほしい。ある感受性の「四角形の球体」がそこにはある。矛盾した言葉でしか言い表せない何かが確かに、この本には、ある。

完全受注生産。申し込みは著者のツイッターアカウント@yuu_com_jpまで。

それでは、以上、過渡期ナイトPD事業部・死紺亭柳竹でした!
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