四月からzoomが始まりました。
私の感想は、
1 対面しているとは言えないということ。
「上善如水」(じょうぜんは、みずのごとし。最も素晴らしいものは、水のように無色透明である)といいます。
傍から見ると水のような当たり前の話を当たり前のようにしているだけ…と見えられがちですが、そうではないです。
「上善如水」と、ただの「水」は違います。
感情や思考の働きを読んでいるからです。
たとえば、zoomはカメラを通じて、色がわかります。
ところがわかる色は、「あの子は色白だ」「アイツは海にでも行ったのか。真黒だ」という色です。
ポーの有名な『黄金虫』に、友人ルグラン君の従者ジュピターが、黒人なのに顔が真っ青になった…という下りがあります。そうです。そういう感性を我々は持っています。
対象 自分、問題 教師
具体的な内容 関心 喜び 悦楽 安心 倦怠 疑問 懸念 不安 羨望 …
という組み合わせは、わかります。それがわかる、つまり、相手が何を考えているかわかるからこそ、指導できます。
それがない。
ということは、対面していないということになります(裏返せば、いつもは、人相見のようなことをして教えているということになります)だから、いつ、どういう話題を出すべきかという判断が、一般論的なものになりがちです。
対面しなくてよいなら、
解説がやたら詳しい教科書傍用問題集を十種くらい作ってそれをやってもいらえばいいです。たとえば、2x=2だったら、次に、2x÷2=2÷2 と、そこまで書くか? というほど丁寧な基礎レベルなどです。
いい例が、T進ハイスクール。落ちこぼれが普通に成績を伸ばすだけ。埼玉大D判定というもともとできる人が、あのきれいなビデオを見て、東大に入ったという話は聞きませんね。もちろん、上でいう、一般論は、誰にもわかること。レベルが低いこと、それどころか、全くのウソも含みます。
zoomなどがいいと思っている人は、勉強は誰が教えても同じだと思っているのではないでしょうか。
ところが、各科目とも、東大を八割取れる先生など、滅多にいません。また、そこにウソが混じらない人も滅多にいません。広い東京ですら、化学調味料を使わない醤油ラーメンを探すのが難しい。それと同じです。
2 疲労
勘弁してほしいほど、たまりにたまっています。
3 システムの理不尽さ
インターフェースが、Mac Win iphone アンドロイドで異なるという理不尽さ。マニュアルは呪文です。
…というわけで、大学は別の方式にしました。それについては、また、後日に。
ログインしてコメントを確認・投稿する