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2020年01月24日18:27

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『沈黙 -サイレンス-』映画感想

原作は遠藤周作、
監督は「タクシードライバー」
「シャッター・アイランド」の
マーティン・スコセッシ。
いわゆる、江戸初期(17世紀)の
長崎を舞台にした、
島原の乱が鎮圧されて間もない頃の、
キリスト教弾圧を主題にした、
その渦中に揺れるイエズス会宣教師のお話。

主題は違うところにある。
といわれてしまえばそれまでだが、
何故日本が禁教令に至ったかを説明なしで、
本題に入っちゃうのは、
ちょっと卑怯じゃない?という気はする。
ただ気に入らないから禁教にした
わけじゃないという部分ね。

浅野忠信が、キチジローの役を
やりたかったらしくて、
オーディションに参加したらしいが、
キチジローの役回りを見たら、
絶対窪塚洋介だろう。
と思わされるし、
浅野忠信がやった通辞(通訳)の役は
最初、渡辺謙が
キャスティングされるはずだったらしいけど、
あれは、渡辺謙じゃキャラが立ちすぎて
雰囲気が重すぎだろうし
奉行役のイッセー尾形氏がかすむ。
浅野忠信くらいの軽いキャラの方が
最適だと思う。
キチジローの密告癖とそれでいて、
宣教師に懺悔の許しを請う二面性という、
狂気じみた雰囲気は
窪塚洋介だからこそだろう。

リーアムニーソンが出てくるけど、
重要な役回りではあるけど、
友情主演?ってくらい出番は少ない。

当時の日本家屋セットの製作費が
日本でやったら高すぎるので、
台湾で撮影されることになったという話。
見ると建物が結構本格的で、
まさか写らない内部まで
こだわったんじゃね?
と思いたくなる感じだった。
あれでは日本で作ったら金かかるよね。

あと仕方ない事だけど、
ポルトガル語ということになっている言葉が
全部英語ってのは、
メルギブソンの「パッション」ほどには
力を入れられなかったって事なのかな?

首切りあるし、人、燃やすし、
溺死させるしで
結構残酷なシーンが多いのは仕方ない。
というか、当時、
もっと残酷な死なせ方をした
という話もあるので、逆に抑え気味なのだろう。

話としては、先行して伝道に赴いていた司祭が、
行方知れずでしかも棄教した
という話まで出ていることが信じられない。
という二人の若い宣教師が日本に侵入する。
司祭の消息捜索と、日本人伝道のためだ。
ところが、たどり着いた村は、
弾圧で廃村すれすれの極限状態。
役人が現れては踏み絵を踏ませて、
信教の有り無しを裁定、
踏み絵を踏めなかった者を
処刑していくという地獄絵図。
という、まあ、知っている人は
知っているステロタイプの
迫害シーンに心揺れる若い宣教師。

この話の原作を書いた遠藤周作は、
母親がカトリックの信徒で、
その影響で自分も
カトリック信者たろうか、どうか
と苦悩しながら人生を歩んだようで、
作品の内容はそんな葛藤の
アンチテーゼとなっている
(原作を読んだことがないので詳細は知らない)。

この遠藤周作が
カトリックではなくプロテスタント信者だったら、
この話はどうなったろう?
と考えてしまった。
カトリックは肖像や聖物を
大切にする傾向があるし、
諸式や儀礼、階級にこだわる。
でもプロテスタントにはそれはない。
踏み絵なんて、幾らでも踏んでいいし
薪にしても痛くもかゆくもないのである。
伝道師から、あなたも伝道師です
と言われれば誰でもその時点から伝道師だ。
ただ、考え方として、問題が生ずる。
踏み絵を踏む「意味」が問題になってくる。
踏み絵自体はタダの板だ。
でもそれを踏む理由は、
「キリストを信じない事を証明する」
という意味がある。「弱さ」ではないのだ。
あるカトリック司祭が
こんなことを言ったそうだ
「よわい人間として
えらびやすい方をえらんでもよいなら、
そしてどうせキリストは
弱い者のためにきたのだから、
それをあてにして行動するなら
キリストが、”天にまします父のように
完全であれ”という言葉も空しくなる。」
これを言った司祭は、
ではあなたの前に踏み絵が置かれ
あなたか、あなたでない誰かが
踏むことを強要されたとき、
「踏むな」といえるか?

キリストが磔刑を受けたのが
全人類の罪を許すため。
というなら、キリスト教を迫害する者も、
踏み絵を踏む者も許している。
そうではないのか?

というあたりを、
考えながら見るかどうかは自由です。
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