ヤクザは伝統ある職業で、本来ならば存続に力を注ぐべきである。それが公的暴力団である警察が「暴力の独占」を意図し、ヤクザの締め付けを行うようになったため、今やヤクザは存亡の瀬戸際に立たされている。
大東亜戦争後の混乱期に、警察はヤクザ(テキヤも含む)に協力を求めた。それは三国人を称しつつ我が物顔で狼藉を働いていた朝鮮人への対策のためであった。ところが世間が落ち着いてくると警察は手のひらを返して「恩を仇で返す」ことをし始めた。
それは日産によるカルロス・ゴーン への仕打ちと同じで、ヤクザの評判を落とすのを目的とし、自らの「暴力性を棚に上げ」て暴力団と命名してしまった。
そのためにカルロス・ゴーンを犯罪者として見てしまった人が少なくないのと同様に、ヤクザの暴力性だけに目が行ってしまう人が少なくなく、ヤクザが日本社会で「果たしてきた役割」を無視しようとする人が多くなってしまった。
そのために世の中には半端者が溢れることとなり、犯罪に手を染めて市民苦しめているのを警察はまるで気にしてない。それは警察は「犯罪があってこそ成り立つ商売」なので、犯罪者が増えるほど実入りが多くなる。そのために、ヤクザ組織が半端者を引き入れて管理するのは、警察にとって非常に具合の悪いことであるからなのだ。
「任侠山口組」が名称変更か
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5933555
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