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2019年10月26日19:57

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クリスチャン・ツィメルマン,ブラームスのピアノ四重奏曲第2番&第3番

【プログラム】
 ブラームス
1 ピアノ四重奏曲 第3番 ハ短調 Op.60
2 ピアノ四重奏曲 第2番 イ長調 Op.26

クリスチャン・ツィメルマン(Pf)
マリシャ・ノヴァク(Vn)
カタジナ・ブゥドニク(Vl)
岡本 侑也(Vc)

2019年10月17日(木),19:00開演,サントリーホール


ほぼ1年ぶりに,サントリーホールで演奏会を聴く。前回ここで聴いたときも,ツィメルマンだった。ラトル&ベルリン・フィルと組んで,バーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」のピアノを弾いた。

今回は若手の弦楽奏者たちと組んだブラームスの室内楽である。これまでツィメルマンは数限りなく聴いてきた。その大部分がピアノ・リサイタル。そして協奏曲のピアノ独奏も少しはある。そして,室内楽は今回が初めて。しかも,秋にブラームスのピアノ四重奏曲である。共演は若手の弦楽器奏者たち。ヴァイオリン,ヴィオラ,チェロ奏者がどういう基準で選ばれたのか詳らかではないが,ツィマーマンのお眼鏡に敵った演奏家を起用したのだろう。

結論を先に言うと,この室内楽の演奏会には少なからず失望した。どのパートも音量が小さくて,各声部を明瞭に聴き取ることができなかったので。室内楽を聴く醍醐味は,各声部の微妙な絡まり合いであり,各奏者が表現する微妙なニュアンスだと思う。

そもそも,サントリーホールの大ホールは基本的に室内楽に向いていない。普段,地元で室内楽を聴く演奏会場は200席から300席位の室内楽専用ホールで聴くことが多いせいもあり,今回のホールは大き過ぎて,響が希薄に感じられた。求心力が生命線の室内楽で,ステージ上の音がホール内に拡散してしまっては,音楽に集中できない。もちろん,ツィメルマン・クラスの演奏家が参加する室内楽を小さなホールで開催するには大きなハードルがたくさんあることは理解できる。なのでサントリーの大ホールで開いたのも理解できなくはないが,興行的に成功を収めたとしても,芸術的な面で結果は上首尾とはいかなかった。

ステージ上の音がよく聴こえななったのにはもう一つ理由がありそうだ。ツィメルマンのピアノの音が客席に伝わって来ない。ピアニストは弦楽器との音量バランスを考えて,音量を抑えたのだろう。弦楽奏者たちは,きれいな音で正確に演奏することを最優先にしていたようで,大きな音量で弾くとバランスを崩すことを恐れてか,こじんまりとまとまり過ぎた演奏だった。楽譜どおり正確に演奏をしていたものの,客席にどう聴こえるかまで考えた演奏ではなかった。とにかく,どう聴こえるかまで配慮する余裕がなかったのだろう。いくらツィマーマンが共演者として選んだからといっても,演奏家としてはまだ発展途上の若手である。

とはいえ,ところどころで,ブラームスの室内楽らしいメロディー,ハーモニーそしてリズムをかなり高いレベルで聴かせる一瞬があったのも事実である。初秋にブラームスのピアノ四重奏曲を聴く贅沢を堪能できる瞬間が時折訪れてくれた。その意味では将来性に満ちた有能な若手であることは間違いなさそうである。神戸と福山でも同じ演奏会を行なっているが,どうだったのだろう。もし,3人の若手がポテンシャルを存分に発揮していたならば,ツィメルマンのピアノもスリリングでスケールも大きな演奏になっていたことだろう。

ブラームスはピアノ四重奏曲を全部で3曲書いた。完成した時期は,第1番や第2番と第3番では10年くらいの開きがあるが,3曲のピアノ四重奏曲は作曲者が若かりし頃の同じ時期に構想されたという。したがって,ブラームス晩年の作品が持つ晩秋にふさわしい雰囲気はあまりない。そのかわり,若い頃のブラームスの情熱や懊悩が垣間見られる音楽である。演奏会の後半で取り上げられた第2番がスタンダードな構造を持っているのに対し,最初に演奏された第3番はよりスケールが大きく,ブラームスらしい陰影が濃い作品に仕上がっているように思う。惜しむらくは,もっとダイナミックな演奏であれば,若い頃のブラームスの音楽を堪能できたのにと思う。
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