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2019年01月27日23:42

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2019年1月27日

物事は一つ一つ分離して存在し
物事は結果だけを知っても意味はなくなぜそうなってどんな奥深くがあり
それを知るにはそれの逆の方向も経験しそれでないといけない理由も知り
僕が歩む一歩一歩が必要なんだとしたら
僕の経験や思い一つ一つが大切であって
頭で理解するのでなく僕が体で理解しないと同じものでもまったく違う
人は経験に心を閉じる自分に嘘をつく
怒りに対し心を閉ざし自分を許さない
自分の経験が大切経験とは何なんだろう。
しかし人は世に出ることで経験に心を閉ざす
同じ事を抱えた人が数多くいてその事実が支えで
正解だと思わせてくれる
答えだと

幸せとは何か?
他人のことを考えるときは自分の幸せほど迷うこともないから幸せなんだと思う
僕の悩み経験一人ひとり違うそれが人を救うのなら、僕が苦しいことその問題を超えていくことで人の希望になる。教師に対比とを救えるそのことが僕自身の内なる欲求を満たすから、他人の生き生きした姿を想像し自分と照らし合わせ押し付けない。相手を思うほうがらくだ

自分をしっかり持っておく
自分という存在が木の幹根本をなすとしたら
相手の意見は枝葉
枝葉だけでは物事は統率できなくて
すべての意見が正しい相手こそ正しいと受け取ってしまうけど
それらは方法原因と結果に過ぎないから
大切なのは自分が自分であることで役に立つそれを活かす技

人は目や耳にとらわれ現実が当たり前と想定してしまう
それがあるという意識と僕の創造とどちらが先でそれがどこから来ているかと思うと逆に僕の創造夢の中が現実なのかもしれないし夢と現実どちらだとも言えて
その感覚が僕の目や耳を通して具現化し現実だと思ってしまう
すべては無僕だけが存在し存在すると意識する
目の前の自称に阻害される
心感じること
と現実
起こっていることと感じること
目の前に人がいてそれら当たり前に見て感じることに阻害される
僕自身の意識無意識の執着僕が選んだもの
時間差で現れる
とともに相手の執着が言葉になりそれらを常に許し続けなければいけない
解決はしない
超えなければ
引きこもっていれば心は平穏
人とかかわるからそれは荒らされる
目や耳人の意識に阻害されている
僕が阻害されているという意識も何かを作れるのは自分作った創造をする

過去はなく未来に決められた道もない
時は刻々と過ぎていき
昨日求めていたものが今日はなく
まったく別の人間関係を求められる
この世がみながこれがこうだと思い暮らしているから
正しいことだと思うことで言い争いが生まれる
自分の主観
社会常識というものでさえ自分が見る世界によってのみ作られる
なら、人に対する意識周りの人や経験
自分の目線
だから、何が正しいのかわからない
言葉にすると何だろう
前は落ち着いた僕の望むもの仲間がいたなら
きっと今は隣に立っている人がいなくて
別の世界の人とかかわることが多い
今目の前の大半の人は嘘をつき
むなしい毎日を暮らすというか
それらが何かなんてわからないけど
心地いい人とは心地良いことも会ったり
でも、心地良いこととなんか違うこと同じ言葉だったり
でもそれが同じだと感じると結局僕の創造の産物だとむなしくなってしまう
何が違うなんてわからない
安定があって自覚があって
しんいがあるというか
悲しみがあって幸せがあるから人生が苦であるならその自覚があることは僕にとって話していて心地がいい
僕がその見方に執着するあまり広い世界を見ていないのっだと言うことだというのなら
波はひいては満ちて
でも、やっぱこの世は
年をとることや自分が不幸だということに嘘をついているようにしか僕には見えない
俺は幸せだと言い合って
趣味があるだの子があるだの
そういうことで自分の存在に嘘をついているようにしか見えない
常に悲しみを背負ってでも笑うほうが僕は正直だと思うそれすら病気になって気づくひともいりゃ気づかない人もいる
だって敷かれたレールを歩くのは迷わずに済むし迷わせることが目的じゃないから
でも、人は年もとりゃ病気にもなるよそのとききっと自覚するんだと思う自分なんてものがこの世に存在してなかったんだと

悟った言葉ってなんだろう相手のためって何だろう
前はそれこそ信じてたけどすべてが暗闇で前も後ろもないこれを自覚するのが悟りっつうかこれが人生なら、僕の言葉には何の価値もないし
相手の言葉も悟った言葉もなくて

情報によって自分を阻害される
人の言葉によって
耳に聞こえる雑音によって
目に見える目の前の人によって
テレビの意見によって
新聞の意見ラジオの意見
他人の書き込み
ネットの情報によって
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