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2018年08月02日22:48

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萬劇場 SHORT STORY COLLECTION VOL.7 夏の短編集 Face to Face

 日曜日は大塚へ行ってきた。大塚は遠い。品川で山手線に乗り換えるのだけれど、大塚は品川の反対側にある。外回りでも内回りでも30分かかる。山手線で反対側へ行く機会って、意外とないと思う。だいたい少しはどっちかに偏るはずである。

 そんなこんなだが、なんとかJR大塚駅北口へ降り立つ。大森へラーメンを食べに行く以外、川崎を出るのは用事が決まっている広域引きこもり状態だから、勘のいい人にはどうせまた観劇だなと察しをつけられているだろうけれど、まったくその通りである。"萬劇場 SHORT STORY COLLECTION VOL.7 夏の短編集 Face to Face"に向かったのだった。

 JR大塚駅北口は芝居を観始めたころに何度か足を運んで以来だから(結局、観劇以外の目的で来たことはない)、もう20年ぶりぐらいになる。さすがにもうかなり変わってしまったと思ったけれど、駅前の大きな書店と、開場までの時間をつぶすために入った回転寿司はまだ残っていた。

 しかし、同じく時間をつぶすために入ったゲームセンターはなくなっていた。当時、すでに旧作に属していたソウルキャリバーの続編が、ひどく難易度を下げた設定になっていて、それまでやったこともなかったのに、とりあえずラストまで行けるようになっていたので、けっこうやってしまった記憶がある。

 ちなみに、今回は行かずじまいだった南口の方には、バッティングセンターと、あとジェルスホールという劇場もあったと思う。それから、熟女専科ギルティという風俗店とおぼしき店もあって、そのいかにもギルティな店構えに感動さえ覚えたのだけれど、その後すぐ当局の指導があったのか、しばらくして再訪してみると(ギルティではなく大塚駅南口に)見る影もなく穏便に変更させられていて、ちっともギルティではなくなっていた。なんだか物悲しい光景だった。

 さて、北口に話を戻すと、こちらには都営荒川線の終点もある。

フォト


 この荒川線を越えて道なりに行くと、民家と商店が混在したあたりに目的の萬劇場がある。途中、時間をつぶすのに寄った中華料理店もあった(同じ店だと思う)。
 萬劇場は地下二階に劇場があって、核ミサイルで攻撃されても上演が可能となっている。先見の明があったといえる。

 "萬劇場 SHORT STORY COLLECTION"はこの劇場が主催する、短編の合同上演企画である。8つの劇団(+地元枠1つ)が入れ代わり立ち代わり、3劇団ずつセットになって公演を行う。
 シアター風姿花伝の黄金のコメディフェスティバルに似ているけれど、あちらは3劇団のセットが固定されていて、こちらは組み合わせを変えながら上演していく。
 あと、こちらは地元の商店街ともタイアップしていて、観劇してから近くのお店で食事をすると特典があるのと、ふだんはあまり芝居を観ないような地元の方らしきお客さんがけっこう会場にいらしたのだった。

 VOL.7というぐらいだから、7回目にあたる今回の企画のテーマは"Face to Face"。向かい合う、とかそんな感じだろうか。
 もっとも、少し意地の悪い言い方をしてしまうと、わりとどんなお芝居でもこの要素は含んでいるから、今回の3つのお芝居に共通するテーマはなにかと尋ねられて、正答できる人は少ないと思う。
 しかし、このテーマに沿って今回は舞台の両側に客席が配置され、観客同士が"Face to Face"な空間になっていたのだった。
 芝居を観ながら、その向こうにある客席の反応も同時に眺めるのは、たしかに不思議な体験といえた。そして、むこう側の観客に自分の反応を見られるのは、少し恥ずかしくもあった。

フォト


 とはいえ、ふつうお芝居は一方向にある客席へ向かって見せて声を出して働きかけるものだから、このレイアウトには各劇団とも対応に苦労した様子なのだけれど、それぞれのその工夫を見るのも楽しかった。

 私が見た回は、劇団ヨロタミ、劇団メリケンギョウル、劇団鋼鉄村松が各30分ずつの短編を上演した。

 劇団ヨロタミは、メンバーの一人が謎の死を遂げた学生劇団『大袈裟演技サークル』の面々が20年後に集まって、当時のことを回想する内容である。こう書くとサスペンス色の強い雰囲気を思い浮かべてしまいそうになるかもしれないけれど、全体のトーンはあくまでコメディで統一されている。
 芝居が大袈裟すぎて所属劇団で居心地の悪かった部長が副部長を誘って新たに立ち上げ、そこへ看板俳優となる二枚目の看ちゃん、唯一の女子部員でヒロインを担当するヒロ子、小道具や衣装など一切を切り盛りする何でも屋の何ちゃんが加わってできた総勢5人の『大袈裟演技サークル』。しかし、公演直前に何ちゃんが謎の死を遂げてしまう……。
 部員たちの自己紹介に始まって、かつての活動を振り返る劇中劇を挟み、やがて、当時の回想へとつながっていく進行はよどみなくスムーズで、そこかしこに挿入される小ネタといい、物語の密度といい、きわめて完成度の高いお芝居だった。
 終盤、明らかにされる何ちゃんの死の真相は、けっこうズッコケなのだけれど、それは観客にのみ示され、結局、登場人物たちは知らずじまいのままである。しかし、それはそれでそんなものかなと思わせる雰囲気はたしかにあった。
 30分という上演時間は、やる側からするとかなりシビアなのだと思う。どうしても舌足らずなところが出てくるのだけれど、それを補うのが芝居の語り口のとしての演出であり演技だと思う。
 登場人物たちの佇まいというか、他人や出来事や物事への距離感みたいなものに、すべてが明らかにならなくても流れに身を沿わせて前向きに進んでいくしなやかさのようなものが感じられて、いちいちネタを割らなくても物足りなさを覚えることなく、すっと終わっていく心地よさにひたることができた。

 ちなみに、少し先回りしてしまうと、完成度ということでは他の二劇団が低いというわけではなくて、メリケンギョウルと鋼鉄村松はいずれも少し崩したところで芝居を成立させていたと思う。

 次のメリケンギョウルは冒頭、いかにもバーテンっぽいかっこうをした男が両手を高く上げて激しく振っている。シェイクしているのかと思いきや、カウンターの客の前に手の中のものを置いて、
「へい、お待ち」
 そこはバーでなくて寿司屋で、男はバーテンダーではなくて寿司職人なのだった。
 こういう共演形式ではごく短い時間のうちに劇団が入れ代わらなくてはいけないので、必然的にセットに凝ることはできなくなる。というか、立方体がいくつか舞台上にあるだけとか、極限まで削ぎ落された舞台装置で演じることになる。
 そうなると今度は、「いかにもそれっぽい動作とその動作とみなす」ことで話を進めていく。落語などはその究極系といえるかもしれないけれど、この劇団はその暗黙の了解をいちいちひっくり返してみせる。
 しばらくそうしたやりとりが続いた後、客が持参してきた惚れ薬をこれからやってくる連れの女性の飲み物に混入してくれないかと店主に申し出る。当然、店主は渋るが、その絶対に効くという惚れ薬を分けることであっさり商談成立。客は連れを伴ってくるわけだが、そこへ偶然に客と付き合っているもう一人の女性もやってくる。客は二股をかけていたのだった。
 この状況を店主と客はなんとか誤魔化そうとかなり粘るのだが、さすがにバレて険悪な雰囲気となる。絶対に効く惚れ薬でなんとか収拾を図るも、柑橘系の果汁と混ぜると効力を発揮しないのに、オレンジジュースに混ぜてしまったため不発。さあ、どうする?という、けっこう王道なシチュエーションコメディが展開される。
 と思いきや、ラストはさんざんネタふりした後、けっこう強引に爆発オチへ持っていったので驚いた。

 そして、今回のトリを務めるのは鋼鉄村松。ライオンを倒さなくては一人前の男として認められないのに、ここ十年来、誰もライオンの影すら見たこともないアフリカのさる部族のお話。
 そんな部族のリーダー、ムガンボは十数頭のライオンを狩った英雄であり、その息子のムガベも屈強の戦士として勇名を馳せているが、この状況ではそれも呪いに近い。
 ライオンを倒せない以上は、一人前の男と認められず、ために結婚もできないので、家庭も持てない。嫁として連れてきた隣村一番の器量よしの女は、婚約者のままもう20年も待たせたままである。実際、そのために部族の少子高齢化が進む一方なのだった。なぜか、このあたりは今の日本とリンクしてしまっている。
 仕方がないので、掟を改変してライオンなら1匹、ハイエナなら5匹で大人に認定されることになったが(劇中で「チョコボールかよ」のツッコミが入るが、反応はうすかった。それも時代だろう)、かつての英雄ムガンボには自分の息子がライオンを1匹も狩れないでいることが、つねづね物足りない。しかし、そんな彼も寄る年波には勝てず、唐突に発作を起こして倒れてしまう。今際のきわにムガベは自分が倒したライオンの尻尾をムガンボに示し、彼は満足して死を迎えるが、その尻尾は偽物だった。
 父親を騙したことで、ムガベは本格的な呪いにかかる。彼はいるはずもないライオンを待ち続け、やがて、婚約者は婚約者のまま死に、彼も老い衰えて30年が過ぎる。
 30年前に彼を訪れた日本人旅行者の息子がまたやってきて、本当に30年も待ち続けたことに驚くが、彼は「なんの後悔もない」と答える。しかし、その後で「後悔しかない」とも言い、そして、「そのどちらも本当だ」という。
 個人的に、この芝居には二つのモチーフがあると思う。一つは実際に存在する、「一人前の男として認められるためにライオンを倒す必要があるが、ライオンはここ十年ほど誰も見ていないアフリカの部族」。これについては、作者がツイッターでも触れている(https://twitter.com/bubblemuramatsu/status/1023594595458867200)。
 もう一つ、作者自身はそういうことを気にしない人のようなのだけれど、小劇場の世界にいると、「芝居をやってなければ、もろもろ自分はもっと楽に生活できているのではないか」と思ってからの、「しかし、その自分は今の自分より満足しているだろうか」と考えて慄然とするような展開である。
 もちろん、そういうことは濃淡の差こそあれ、どんな人にも去来する思いでもある。だから、作者は身のまわりにあるそういう問いかけを純化し、アフリカのある部族の状況の上にのせることで、若い人はどう見るかわからないけれども、ある程度に歳をいった人間からすれば、ひどく自分の過ぎ越し方を振り返させる芝居にしている。
 だから、この芝居は観た人のそれまでの経験によって、かなり見え方の違うのではないだろうか。個人的には、どんな人生を選んでも満足もあれば後悔もあるという話のように思えた。
 ラスト、ついにライオンが姿を現し、ムガベと死闘をくり広げる。いままで影もなかったライオンがいきなり姿を現すのは、ご都合主義ともいえる。このライオンは本当のライオンなのかという、疑問も生じるところではある。作者もこれについては、上記のリンクで少し触れている。個人的に、そこは30分という上演時間に区切りをつけるためでもいいし、ライオンなんか出ないとたかをくくっていても出くわすことだってあるかもしれないじゃないかでも、どちらでもいいと思った。

 あらためて思うのは、30分で語れることにはどうやっても限界があるということである。語り起こすための状況説明だけでも、実はけっこう手間がかかる。そこを補うのは、やはり、語り口としての演出や演技であって、どうやってもシンプルに削ぎ落さなければならないプロットを、成立させられるかどうかの微妙な一線は、けっこうこの部分が担っているということだった。でもって、ここはどうしても見てもらわないと伝わらない部分で、芝居について文章を書くのはほとんど徒労に近いなと、ここまで書いてようやく気がついた。読んだ方こそいい面の皮である。すまぬ。

 ちなみに、ベストショートストーリー賞は劇団ヨロタミが受賞したとのことである。運よく自分が見たなかにベストショートストーリー賞が入っていたのは、得をした気がしてうれしい。
 もっとも、ウェルメイドという点ではたしかにここが一頭地抜きんでていたけれども、なにに重きを置くかで見た三劇団の中でも順位は流動的な気がしている。
 そういう意味では互いの勢力も拮抗し、それぞれの個性も存分に発揮されて盛り上がった企画だと思った。

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