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2018年08月13日22:18

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8月13日

中学生のころ、女子から凄まじいラリアットを受けたことがある。それはすこしの妥協もない助走から、ぼくの首を刈り取るつもりで放たれた致死的な一撃だった。しかしぼくが今こうして生きているのは、当時の刹那的な判断によってした背伸びのおかげで、僅かながらヒットポイントをずらすことができたからだ。それは胸部上方に雷のような音をたてて炸裂し、ぼくは後ろへ回転せんばかりに勢いよく倒れた。地面に背中をつよく打ち付けた際には、この星からも突き放されるようにぼくは一度バウンドをした。今でも目をつむるとその時の浮遊感を呼び寄せることができ、ぼくはたちまちに虚空に吸い込まれてしまいそうな錯覚をおぼえる。
 すべての原因は、窮屈な校庭にあった。人数の少ない小さな学校だったからか、敷地も限られていて、その分グラウンドも小狭い。そこでは野球部と陸上部、それにぼくが所属するサッカー部が同時的に活動をしていた。「校庭はみんなで仲良く使いましょう」とだけ言われ、とくに取り決めもないまま、毎日ぼくたちはあり余るエネルギーをそこで発散していた。もちろん問題は起こる。ゴールキーパーのもとに野球ボールが飛んできたり、50メートル走をしている人の脇腹にサッカーボールがぶつかったりと、グラウンドは混沌をきわめた。ぼくたちは競技へ向ける集中力とは別に、いつも他の誰かに注意を払う必要があった。
 そしてそこには中学生ながらに力関係といったものも存在した。ぼくたちサッカー部が公式試合においてダブルスコアで負けるような弱小チームであるのに対して、長距離部には全国駅伝に出場するようなエリートがそろっていた。その優劣の差は競技を越えてぼくたちの意識に根付き、トラックを駆けてくるランナーが近づいてくれば、こちらはいかなる状況であっても銅像のように固まって道をゆずるという暗黙のルールができた。彼らが走り去るときに立ち起こる風は、へらへらと球遊びをしているぼくたちを溶かすほどに熱く威圧的で、身を切り裂かれるように鋭かった。実際に彼らはサッカーゴールの付近を通過するときに、挑発的に唾を吐くことがあった。たぶんグラウンドを一周する間にためこんだ唾だと思う。それにはあきらかに上下関係を示す意味合いが含まれていたが、ぼくたちは怯えて何も言えず、黙ってそこに砂をかけるしかなかった。
 今から考えると、たぶん顧問間の関係性もつよく影響していたのだと思う。というのも長距離部の顧問はその地区の理事会で役員をしていたらしく、当時から発言力のある教師だった。おまけに体育の専任だから体躯もがっしりしている。一方こちらは鳥頭のがりがりに痩せた図工の先生で、風貌からしてぼくたちを権威から守るにはどこか心もとない印象がある。あくまで推測にすぎないけれど、長距離部には他のどの部活にも優先して活動をしても良いという共通認識が、「公式的」に存在していたのではないかと思う。そしてそれは伝統的な概念としてとめどなく流れていき、あるかわいらしい女子新入部員のピュアな心にまで浸透していたのではないか。
 ぼくがコートからこぼれたボールを取りに向かう際、彼女が走ってきていたことには気づかなかった。もちろん完全にぼくの不注意ではある。でも距離的に見れば、彼女にも避けるくらいの余裕はあったと思う。ぼくがハッと顔を見上げたときには、彼女の方も驚いたように目を丸くしていたのだ。目先にある障害物には気がついていたはずだった。ぼくはこの場面において、こちらから動いてしまうのはかえって危険であるという判断を下し、両腕をピタリと閉じた気をつけの姿勢でそこに踏みとどまった。そして「ぼくの方は動かないよ。だから君の方が避けてね」、という意図を目で彼女に訴えた。しかしながら彼女は、ぼくを避けることもせず、正面衝突することもしなかった。まだあどけなさの残る彼女が選んだのは、気をつけしたぼくに向かってラリアットをくらわすことだった。その刹那、彼女の目が暴圧的な色を帯びたのを確かに見た。おそらくそれはグラウンドにおけるパワーバランスをそのままの形で受け入れた彼女の、どこまでも純真で、どこまでも無慈悲な一撃だった。何とか致命傷にはならずにすんだけれど、地面にうちつけられたぼくは一時的に意識が混濁し、なぜか目の前が黄土色にそめられた。訳も分からず地べたに耳をはりつけ、走り去っていく彼女の足音を聞いた。仲間たちは動かないぼくを見て絶命したと思ったらしい。たしかに危なかった。もう少しで死因が女子のラリアットになるところだったかもしれない。
それは今日みたいにとても暑い夏の日のことだった。さきほど近所の高校生が学校のまわりを走っているのを見かけた。みんな必死におのれの肉体と向き合い、鍛錬にはげんでいる。がんばっているなあと思う。暑いのに大丈夫かなと心配にもなる。でも、ときどきふと彼らの目が何かに洗脳されたように虚ろに見える瞬間がある。そんな時、ぼくはすれ違いざまにヒッと怯えて、思わず背伸びをしてしまう。
 

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