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2018年06月25日05:55

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六月の投稿から


The tree of Zen の仲間たちの 投稿を、数点並べてみました。
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◆ 木霊 禅
… 存在の喜びが生みだす、あかごの微笑みと、
生きることへの生来的・根本的な感謝が生みだす、成長後の人の微笑み。
いずれも、人間存在の、奥深くにある潜在意識のもたらすものです。
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だから、
前者をただ本能的・動物的な、打算的な庇護を求めるものとしたり、
また、後者をへりくだりの屈辱的な劣等意識の表れとみる理解は、
推論として「ゆがみ」があるのです。
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存在の喜びと、生きることへの感謝は、理屈に最優先した生命の基本としてあります。
生きるだけで本来人間は感謝できるとするこの理解は、重要な逃げ場のない生全体にかかわるポイントです。
真正面から深みより向き合う、外界全体に通じる、受容を覚悟の一端に置く、「ゆがみ」のないゆとりが存在の背後にあるのです。
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◆ 山崎 順子
プライドは、物からは生まれない。女たちのほとんどは、複雑さを本能的に知り、物質と関連させながらも、物質と無関係に凛とする道をつくる。
男たちは、女の浄化の、そのスタイルを知らない。
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◆ 初台 太郎
国家に成り代わって、あるいは、末端に至るまで、いわば、無名の人間たちが、国家の運営や実施をサポートしています。
… 保育園や児童館、運動施設とホール、多岐の集会施設、消防と保護司会、防犯協会と赤十字奉仕団、市民消火隊と清掃協力会、子ども育成会、幼少中学校のPTA、各種障害者団体とその家族会、いまだ全国にある被爆者と戦死者遺族の会、文化芸術、スポーツの振興目的の協会と連盟、高齢者の支援や福祉等々、昔から…。
国家とはその総体です。
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はき違えた分離は、「憲法統治」的さまざまなエリート「主体」に、総体の詳らかな、ありのままの運営実態を、目隠しをしてしまっていることになる気がしているのです。
憲法的な本来の『主体』は、「住民」らの税と協力と奉仕で助け合いのつながりを樹立している人たちの手もとにあります。
エリート「主体」には、ありません(憲法1条)。
小学生にも教える、至極基本的な常識です。
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女たちのほとんどは、凛とする道をつくり、その浄化の道を権力意識の男の我が、逆転して壊そうとしているとしたら問題です。
立地がそうしたところにあるとしたら、本能的に察知できる魂の小学生たちと、意識と奉仕の無名の無数の心に国家はまったくもって、申し訳ないことをしていることになるからです。
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