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2018年07月09日02:47

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ある会津人のこと その六

この薩会同盟(とはいえ、三年後の慶応二年には薩摩は長州と極秘裏に薩長連合を結び、会津をほうりだしてしまうのだが)がおこなわれた時期、
京都の薩摩藩邸には、めぼしい者がいない。

久光は国もとにあり、大久保利通もまたその久光のそばにいる。

西郷は遠く沖永良部島の流人小屋で起き伏ししていたし、
また西郷や大久保が尊敬していた小松帯刀も、鹿児島にいる。

この時期、京都藩邸にあって薩摩の外交をやっていた者は、
四人の名前がうかぶだけである。

奈良原繁、吉井幸輔、高崎五六(猪太郎)、高崎佐太郎(正風)で、
いずれも二流の人物にすぎない。

兄貴株の奈良原は酒乱で、
のちに沖縄県知事になった業績をみてもその思想は固陋で粗放であり、
ただ猛勇な剣客であるということと、久光に気に入られているということが、
かろうじての特徴といえる。

吉井幸輔は歌人吉井勇の祖父である。
初期、西郷と仲がよかったが、のち久光との関係が濃厚になり、
西郷から離れた観がある。

明治後は政治の面に出ず、宮内省の役人になった。
高崎五六は明治後、西郷よりも大久保に接し、
そのおかげで東京府知事をつとめたが、べつにこれという特徴はない。


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