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2018年05月31日22:43

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みんなサイコ

「美しき隣人」というドラマをアマゾンプライムで全話みた。
内容自体はたいして面白くなかったんだが、1つだけ、ちょっとこれは怖いなあというところがあって若干印象に残った。
このドラマは、仲間由紀恵扮する、サキという女が、壇ふみ扮する絵里子という女の家族を乗っ取ろうという話。
経緯は、絵里子の5歳の息子が行方不明になった日に、サキの同年齢の息子が近くの池で溺死するという事故にあい、結局、絵里子の息子は無事発見されるのだが、その2つの事件はニュースに流れた。
それに逆恨みしたサキが、絵里子の隣家へ引っ越してきて、絵里子に接近、全く信頼されきるまでの仲になったところで、絵里子の夫を誘惑し不倫関係になり、さらに息子まで手なずけ、絵里子に成り代わり家族を乗っ取ろうとする。
サキによると、幸福の量は一定であり、誰かが幸福になると誰かが不幸になるという何とも根拠のない身勝手な「俺法則」があり、絵里子が幸福であるために、自分が不幸であり、絵里子を不幸にすれば自分に幸福が訪れると、純粋に信じきっている。
「他人の家庭を乗っ取るなんざ、んなにうまくいくわけねーよ!」とツッコミどころも満載だが、まーそこはドラマなので。。
で、ドラマゆえに非現実であるわけねーよ、で済ませてしまってもよいのだけど、このサキというキャラクターが、人の深層心理に漬け込む巧妙さが、よくできていてちょっとゾっとするものがあった。

まず、サキはその美貌と、それにすますこともない気さくで明るい性格で相手に好感を持たれる。話上手であり、気が効き、付き合いもよく、インテリアなどの知識も豊富で、第一印象はとても人ウケする。
しかしその裏の顔は病的な嘘つきで、被害妄想で、わが身の幸福のみを望むエゴイストで、怒ると人格がかわる多重人格の気があり、自分に不利益な境遇は全て他人のせいだと思い込んでいて、自分の幸福のためなら他人のいかなる不幸にも陥れるという、要するにサイコパスの一種なのである。
で、絵里子の家族は、そのサキの詐術にまんまとはまり、一家崩壊の一歩手前までいってしまう。
視聴者として客観的にみていると、「なぜここで絵里子の家族はサキの思惑通りになっちゃうんだ?」と思わずにはいれない。サキが病的な嘘つきであり、自分たちの家族をターゲットに陥れようとしている、とわかってからも、「とりあえずいろんなことは棚上げしておいて、今は家族で一枚岩となってことに対処しよう」とならないのが不思議なのだが、実際に当事者になると案外そんなもんなのかなーと思う。
例えば、夫(渡辺篤郎)が、サキと不倫関係になってしまったというのも、完全にサキの策略であってまんまと引っかかっただけなのだが、絵里子はアホみたいに「あの女と不倫した」ばかりに固執し、メソメソして夫との心の距離が乖離していく。
その感情にさらにつけこまれ、サキはこの夫婦にこれでもかいうくらい揺さぶりをかけてくるのだが、気持ちが弱っているため、ことに対処するのがいつも後手になる。
もっとも最終回で、絵里子は全てを冷静に受け止め、サキと決着をつけるべく戦うというところまでいくのだが、途中、まるっきりサキの策略に引っかかりっぱなしという、どうにも歯がゆい展開がずっと続く。
しかしながら、サイコパスが起こした現実の事件などを調べると、サイコパスは、かなり巧妙にターゲットにした人につけこみ、ターゲットにされた人間は普通なら考えられない行為をしてしまったりする。
代表的なのが、北九州一家殺害事件の松永だろう。
松永は、巧妙な話術とマインドコントロールで、もともと仲の良かった家族の仲を引き裂き、家族同士殺し合いをさせるという、異常な状況を作り出した。
僕自身、こういう極端な犯罪者にお目にかかったことがないので、その時の心理状態はわかりようもないのだが、被害者は、事件発覚後、「まるで夢遊病者になったかのごとく、松永の言うとおりに動いてしまった」と語っている。

ここに、人間の怖さというものを感じてしまう。
例えば、僕が今、毎日過ごしている日常生活は全く平和なものであり、職場と家を往復している何も憂うことない安定した日々なのだが、平和的職場であってさえも、例えば、ちょっと性格が悪い権力をもった人間がいると、なんとなく皆、頭がおかしくなる。
そいつが凄い理不尽な要求をしてきても、素直に言うことをきいてしまうし、ともすれば、その人のおかげで今我々は助かっているなどと感謝の意を表明してしまう奴まででてくる。
よくよくみると、そいつは性格が糞みたいに悪いサディストで、周りを自分の思い通りに洗脳し奴隷化することに快感を見出しているとしかみえないのに、「あの人は私のことを考えてくれるいい人だ」となってしまう人が少なからず出てくる。
あまりにも、実存否定というか、アイデンティティを揺るがすようなことをされると、人間、恐怖心からか、逆に転じる。
これはいじめの構造とも似ている。
いじめという理不尽な目にあっても、いじめっ子とは仲が良い、親友だ、といういじめられっこがいるが、これは、いじめという実存否定にあいながら、「本当は否定されているわけじゃないんだ、俺のことを思ってああいうことをやっているんだ」と思い込みたくなる人間心理である。
サキは絵里子にいう。「あなたは本当はこの家族が嫌いなの。それを誤魔化しているだけ。自分の正直な心を見つめるのが怖いだけなの」。それまで、幸せに築き上げてきた家族、姑、近所付き合い、そういったものを、一気に否定する言葉を吐く。
ちょっと考えれば、「んなことあるわけねーだろ」と一蹴できそうなもんだが、それをサキの策略で散々心を弱らせておき、ズバっというから、「もしかしたらそうなのかも・・」と思い込まされてしまう。
その場を支配する空気感、そういったものに、人間は、まっとうな思考ができなくなることがしばしば起こる。

そういうものに支配されない方法は、強い意志で、真実を直視し、今、自分がこの場を切り抜けるベストな方法は何かを冷静に分析して実践することだ。
例えば、「夫の不倫」という事実に感情的にとらわれすぎて、そうなった原因、本当の問題は何か、自分は今、何をしなければならないのか、をしっかりと考え抜く。
自分は今、踊らされ洗脳されているだけなんだ、という客観的な視野を持つ。
本当にしなければならないこと、守るべきものは何かを冷静に考え抜く。
簡単なようで難しいのだが、常に自分をそういう立場においておきたい。
古今東西、客観的視野を持てる人間は強い。しかし逆に、その視野が持てない者はあっという間に喰われてしまう。
そういうことを考えさせられるドラマだった。
見て損した。

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