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2018年05月13日18:43

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私見

■「あたし、おかあさんだから」の歌詞、母親の自己犠牲を美化し過ぎと炎上 作詞者は「ママおつかれさまの応援歌」と釈明
(キャリコネ - 02月05日 13:21)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=4973557

 今更な話。

 このニュースを見たときからずっと違和感があった。
作詞者の方の言うことが間違ってるとは思えない、
でも憤慨している人たちの言うことももっともな気もする。
どちらが”正しい”のかは分からなかった。
でもどちらかが”間違ってる”というのは違うように感じていた。

 ゆうべ、ふっと気づいた。
もしかしたら作詞者と反論者、お互いがとらえている「単位」が違っていたのではないかと。

 作詞者の想う単位は「人」。
ひとり、ふたり、何人でも子どもを想う気持ちはひとりたりとも欠けさせない。
誰ひとりとして見捨てない。お母さん(お父さん他保護者)だから。

 憤慨していた人たちの想った単位は「時間」。
子どもは大切。でも24時間気を張ってるわけじゃない。
1日のうち何分、何時間でも余裕が欲しい。お母さん(お父さん他保護者)でも。

 確かに歌詞には時間を気にする様子もあるけれど、
それが本筋ではないのではないか?と感じた。


 極論すれば、こう歌えば良かったのではないか。
「愛しい人をガス室に送らせない。ひとりたりとも。5分たりとも。」

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