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2018年01月26日15:14

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太陽と月(日月)で「さっぱり(薩張)」の維新は、天の皇の官軍により起きる

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西暦1892(いち早くに)年に発祥した大本教の神諭には、世をさっぱり(薩張)で改めると予告されました。「さっぱり」とは不必要なものを無くすことですが、普通「さっぱり」には漢字が存在しません。


大本教神諭の「さっぱり」に「薩張」の漢字を振ったのは大本教の出口王仁三郎聖師ですが、この【さっぱり(薩張)】とは明治維新が起きる時、それまでの徳川幕府に対して薩摩藩と長州藩の連合軍が、天皇を帝と仰いで官軍として倒幕した出来事を「型」としています。
巨大な徳川幕府に対して雄藩と言えども徳川幕府に規模では劣る薩摩・長州連合軍が勝利したことです。薩摩は「○に十」であり、長州は「一文字三つ星」と言えます。この三つ星は「オリオン座」で、古代中国では【将軍星】で「大将軍・右将軍・左将軍」としました。軍神と言えます。
大本教の出口王仁三郎聖師は、自身は「オリオン座」出身と述べておられます。だとすれば、大本教の演技は「長州藩」の型となりますが、大本教からは「○十の薩摩藩」の型は出なかったともなります。


薩摩・長州連合軍によって起きたのは【明治(日月で治める)維新】ですが、それまで権力が無かった帝たる天皇家に権力が移ったと言えます。
そこには、大本教で言う【型】が存在していると言えます。


某大教団で取り次ぎの教師をされている方からメールをいただきました。その方のメールによれば、その方をその教団に導いてくれた方が、その教団は邪教だと退団をされた。その方の意見は正しいと思う。自分もその方と同様に退団すべきと思うが、教団のリーダーの仲間達は良い人ばかりなので、その仲間達を裏切れない。教団に残って内部から正すべきなのかと言う悩みです。
大教団の末端の教師格程度で、その大教団を内部から立て替えるなどは、どうあがいても不可能なのです。一度大教団になると、開祖には神霊能力があり神が解っていても神霊能力が無い子孫には神が解らない。世襲と言う形骸化した教団となって行くのです。神が解らない世襲教祖と、それを取り巻く幹部の私物化教団となるのです。


その方が夢で見たある光景に白馬に乗った鎧兜を身に着けた若武者が出て来られた。その兜の吹き返しの一方には太陽が描かれていて、一方には月が描かれている。この武者姿の霊は【太陽(日)と月】をも治めるほどの方と感じた。世の大立替の「総指揮官」ではないだろうかです。
太陽は「天照大御神」を意味し、月は「素戔嗚尊(月夜見尊)」を指します。日本神話では素戔嗚尊と月夜見尊は別の存在とされていることから、大多数の人達はそうした概念を持たれているようですが、一部の霊能者の方達は「素戔嗚尊」=「月夜見尊」だとしています。
この「素戔嗚尊」=「月夜見尊」は、大本教霊界物語を読んだ方ならば、日本神話と異質な内容が書いてあり、推論を働かせれば「素戔嗚尊」=「月夜見尊」に行き着くことにはなります。


私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声は、【日本神話は事実ではなく、この私が最後の時に備えて作為して創らせたもので、そなたはその意味を紐解け】と告げられましたが、豊受姫並びに稲荷神界の主たる神霊から衝撃的な意外な事を告げられて、日本でそこまで解っている霊能者の方は若干名であることを知りました。
それらは大本教霊界物語にも書かれてはおらず、その一部だけが暗示として霊界物語には出ているだけで、まだまだ隠された秘められたものがあるでした。
そうした中で、私も「素戔嗚尊」=「月夜見尊」を知ったと言えます。大本教霊界物語には主は愛国(天人界)では太陽の天照大御神と顕現し、霊国(月界)では月の素戔嗚尊として顕現するとあるように、これは同一神の働きで有り、日本神話そのものに一種の作為がなされていると言えます。



ある霊感者レベルの方が、自分に素戔嗚尊と月夜見尊が一緒に出て来られたと自慢気に言っておられましたが、一緒に出て来たとなると、かなり下級霊に誑かされているのかも知れません。それらの霊は日本神話の内容を【鵜呑み】にして、それに自分達が化ける演技をしようとしているからです。
もしかすると、日本神話はそうした下級霊をあぶり出す為に天の神の作為であったのかも知れません。


その教団の取次の方は、別の時に夢にある光景を見たと言います。港に弥勒の世に渡る船が出航の為に多数停泊していた。その船の上に天から火の雨。焼夷弾の様なものが降り注いで、弥勒世に渡すべき船がことごとく沈んでしまう光景。それを高台から自分が見つめているです。
その天から降る火の雨。焼夷弾の様なもので沈んだ船は、その方が信仰している教団が弥勒世に渡す為に仕立てた船。このまま教団に残っていれば危ないとは感じたが、教団の仲間達を置いては行けないです。


私もその夢と一部同様の夢を見たことがあります。海の上に多数の漂流物が漂っていて、その漂流物に多くの人が溺れるようにして掴まっている。それも一人や二人ではなくて大量の人達です。何隻もの船が何かの事故で海に沈んだようです。
そこに一隻の船が来ます。その船が溺れながら漂流物に掴まっている人達を助けるのかと見ていますと、誰も助けようとはせずに通過して行きます。その船には【最終みろく丸】と書かれています。そして、最終みろく丸は大海原で溺れている人達を助けることなく、急ぐがごとく遠くに去ってしまいました。

その最終みろく丸には【ラ神(羅針の羅神)】が乗船しているのです。【ラ神】を持たない船は、弥勒世に向かっても悉く沈んでしまう光景です。だが、何故に沈んだのかとなりますと、その光景には出て来ませんでしたが、その方が見た【天から火の雨が降る】だったのかも知れません。
ただ、それは現実界に起きる出来事の予告ではなく、【三途の川】が大海と変じた「霊界」で起きる事柄ではないかと感じたことがあります。


その教団は信徒達を弥勒世に渡すことを歌ってはいます。教団で唱える主宰神としているのは大本教の出口王仁三郎聖師が説かれた【スの大神】です。だが、その教団の開祖は【ス】の神とは何ぞや。その理解もなされていなかったようです。ただ、その教団は龍神と呼ばれる存在による奇跡力の示しで大教団をなして来たなのです。
霊能者サイドによれば、その教団は【龍神】であることは知られています。私はその教団に関して、豊受姫のお代をしていた最初の師匠から、【信仰してはいけない教団】の一つだと聞かされていました。二番目の師匠からも、あの教団の祭神は邪の【龍神】だと告げられました。


邪神界の龍神は【病気治しにはめっぽう強い】特色があります。だが、創造神とは【病気治し】の神ではなくて、【心の立替、建直しの神】なのです。


私の従姉がこの教団の信徒になるで、その教団の御魂を家に鎮める時に立ち会ってくれと頼まれて、その時に私はこの教団の取次者からの神霊パワーを受けて見ましたが、バカバカしくて話にもならない程度の神霊パワーで有り、その取次者はこれでも神霊パワーが私に行かないかと額に汗していましたが、私は気の毒になって、もう止めておきなさいと言うとホットしていました。
教団の取次者をしていて、その神霊パワーが相手によっては弾き飛ばされるという体験されたことがなかったのでしょう。
私の従姉もかなり霊感があり、その教団の御魂をその時は受けたのですが、結局、その御魂をその教団に返却してしまいました。私から見るとその教団信徒達は弥勒世には行けない信仰集団の一つだと見ていました。


その教団の取次ぎ教師をしている方が、弥勒世に渡すことを歌っている教団の船が天から降る火の雨でことごとく沈んで行く光景を見られた。それはその教団の祭神たる神霊が見せたのではなくて、その方の【正守護神】から見せられたものでしょうが、誰しも肉体にはどうしても【人の情】が入りますので、そこから抜けるのには勇気が要ります。だが、抜けないと自分も滅びかねないのです。
守護神と言えども、肉体が間違った行動に走った時、それを「阻止」出来るだけの力は存在しません。時には肉体の行動に守護神が引きずられて、守護神そのものが落ちてしまうもあるのです。それが本当の【体主霊従】とも言えます。


自分の守護霊がああ言った。こう言った。それは創造神でもあるまいし、万能ではないのです。中には守護霊そのものが、自分より力がある霊が正神界の神霊か邪神界の神霊かを見抜けていないがあるからです。それならば、自分がした行為行動は守護神がしたことで、【自分に責任は無い】と逃げる口実になります。守護神と呼ばれる存在には常に神霊界の【霊格】が作用します。


自分が霊界に入った時、この世で責任を取らせられるのは守護神ではなくて、【肉体を保持している自分の魂】そのものとなるのです。


霊界ではどれほど高い神霊の分魂であっても、この世に一度出た以上
全ては肉体を持った【自己の魂】に責任は帰結するのです


夏目漱石の「草枕」に【知に働けば角が立つ、情に棹させば流される】という有名な文章があります。
大本教の出口王仁三郎聖師は【五情】の大切さを説かれましたが、あまり【情】に走ってしまいますと「魂が乗る舟」が情に流されてしまいます。


間違った道を行く者の【情】にほだされて一緒に行けば、自分もまた流される


その教団で取り次ぎをされている方が見たと言う【白馬に乗った鎧兜を身に着けた若武者が出て来られた。その兜の吹き返しの一方には太陽が描かれていて、一方には月が描かれている。この武者姿の霊は【太陽と月】をも治めるほどの方と感じた。世の大立替の「総指揮官」ではないだろうかは、その通りと言えるものなのです。最近、この白馬に乗った若武者の方を見たと言う方が増えて来ているようです。


私は以前、この白馬に乗った武者姿の方が鎧兜ではなく、頭には連獅子の舞に見られる明治維新の官軍の指揮官達が被っていたような白のかぶり物を着用した姿を見ました。その背後には無数の白狐達が「〇に十字」の薩摩紋の旗指しを持っていました。未だ世の立替宣伝の段階かなとみていました。この指揮官の副官として、日本武尊(倭建命)が就いておられて、意外な組み合わせだなと見ていました。
この白馬に乗った若武者の存在は天の皇の軍の「総指揮官」と言えます。つまり「さっぱり(薩張)」で日月すら改めるなのです。


最近、ある方からその白の獅子頭を被った若武者の方を夢に見たけれども、それに従っているのは白狐達ではなくて、白犬の様に見えたけれども【白狼】ではないかとの意見が寄せられました。
狼は、日本で言う「大神(おおかみ)」に通じていることは知られています。特に「白狼」は神使ともされます。白狐でも白狼でも祓いの【犬科】だとは言えるのです。

​いずれにしても、【祓い】の力が強まっているとは言えます。為に、これまで隠されていた出来事が次々と浮かび上がって来るです。

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