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2017年12月22日12:15

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話芸

「ミセス・ダウト」音声ガイド制作のためのモニター会。
モニターのMさんを迎えガイドを作ってくださったボランティアチームの方3名と私。
で、つれづれ思ったこと。

 1.ガイド作りも4作目の皆さん。基本はわかっているので「ガイドが足りない」と
いうことはまずない。しかし、どんなことでもそうだが、慣れてくるということは限界に
対する見極めもついてきて、あきらめ(見切り)も早くなってしまいがちということ。
これは当然自分にも当てはまる。

 2.Mさんのモニターのすごいところは、こんな風に「逃げて」作ったガイドを、
きちんと見逃さず、「ここの所もう少し詳しいとうれしいです」などと穏やか、かつ
的確に指摘してくれること。ある意味、無敵なモニターだ。ガイドを作る身としては
さらに追い込まれるがそこに活路(あるときは妥協点)を探さなければエンディングに
たどり着けない。

 3.画面をあれこれ見てガイドを考えると迷路にはまり,迷走はとめどなくなる。
しかし「ことば遊び」ではいけないところを見極めるのが、この場合の私の立場。
モニターの皆さんが「ことば」をいじりだしたら「もっと違う視点があるはず」といって、
いったん流れを切る。
 これができるのは経験しかない。

 4.結果、おもしろいことがわかった。
 場所はテレビスタジオ。子供向けの教養番組のセットに入り込んだ主人公が、
テーブルの上の恐竜の模型を使って面白おかしく即興の歌で恐竜を紹介するシーン。

 ガイド「恐竜を手に取る」
 主人公がテーブルに近づき、軽快に歌を歌い始める。
歌を聞かせるためにこの後しばらくガイドがない。

 モニターのMさんの意見は、
「この歌のとき、恐竜の模型はどうなっているのか?」
という疑問だった。

 ガイドチームは映像を繰り返してみる。
次々に恐竜の模型を手にとっては、その恐竜の名前をもじった歌を歌いながら、
ダンスをするような動きをしてみせる。
 あれこれガイドを考えるが何しろ歌いっぱなしなのでガイドを入れようがない。

 ところが・・・

 映像をよく調べると、主人公が恐竜の模型を手に取るのは
実は、歌が始まってしばらくしてからなのだ。正確に言うと、口でイントロを
歌いながらおもむろに模型を手に取る。
 ガイドを作った方は、この一連の部分にもガイドをつけられないと判断し、
歌の前、主人公がテーブルに近づくところで「恐竜を手に取る」と、つけてしまった。
いわゆるガイドの「先出し」である。まあ、よくあることなのだが。

 そこで、映像と同じタイミングで、つまり
 ◎主人公がテーブルに近づく
 ◎イントロ歌いだす
 ◎おもむろに恐竜の模型を手に取る
  ガイド「恐竜を手に取る」
 ◎恐竜の歌が始まる

という位置に入れてみると、とたんに恐竜を手にして歌いおどけて見せる主人公の
姿がイメージできるのだ。

 「ことばをいじるのではなく、正しい位置に収めるだけでガイドが成立する。」

 私がライブで何気なくやっていることだったりするものを、いかにお伝えするかと
いうことに苦心するが、この比較は鮮やかで説得力があった。映像の持つ力を
信じること、編集の意味を知ること、聞く方(視覚障害者)の想像力を信頼すること、
そんなことの上に「音声ガイド」は成立する。

 5.だから音声ガイドも結局は「話芸」なのだ。
同じ落語でも演者によってまったく違うように、同じガイドの表現なのに
タイミングやリズム、強弱が強く影響する。
まして「映像とのジャムセッション」と捉えれば、入れる位置がずれることでガイドが
崩壊したり、輝いたりする。

 6.実作あるのみ。
優れたモニターと豊富な経験がつくる音声ガイドの魅力を伝え続けるしかない。

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