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2017年09月17日12:59

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出光美術館の江戸琳派芸術展を観にいく

昨日からはじまったそういうものを、カミさんとふたりで観にいった。
私が日本画を本格的に観るようになったのは、結婚後、それは私には普通よりはだいぶ遅く51歳になってからだ。それと結婚とが関係しているのかどうか分からないが、うち夫婦と同じ期のマンション管理組合理事をやって親しくなった女性が有名な能楽師の許に嫁ぎ、私も付き合って千駄ヶ谷の能舞台を観にいくなども、日本の芸術や芸能の美、その様式の特徴、神秘、妖気、地下の黄泉の世界からの気配などへの思いを凝らしてみることに、私の興味を向けたのかも知れない。
そういうなかで検討してみると、山岳信仰、他界信仰、先祖信仰の3つを特徴とする日本的な宗教心性が出来上がっていったのは、だいたい、14世紀から16世紀にかけての室町から安土桃山の時代、能や日本画などに凝集されていく日本的美意識が形づくられていったのも、ほぼ同時期だったと分かる。
このころに、われわれの生や風土の中の、現世を超えた死の彼方の天上的なものへの意識、それに、美としかいいようのない“日常を相対化し、異界を浮かび上がらせるもの”の共通心性と形象化が培われていったのだ。それらは、その逸品が東洋陶磁の安宅コレクションのなかに凛として存在する沈黙の死生観にも、通じるものだ。花鳥風月中心の題材、大胆な空白=間の提示、そういう日本的美意識の特質は、今回の江戸琳派芸術の絵画にも遺憾なく発揮されている。
ただ、私は、昨日のその出光美術館の江戸琳派の逸材の酒井抱一、鈴木基一の紅白梅図屏風、秋草図屏風などを観てこれらの江戸琳派の世界観は、やはりそのエコールの創始者である京都の尾形光琳の屏風絵絵画の圧倒的な完成度にはひけをとるなと、思わせられた。光琳のふたつの、紅白梅図屏風、燕子花図屏風は、そのまえに立つ誰でもが息を呑む色彩と全体構成だけが生み出す緊迫と幻想美に満ち、それは世界的な美術品の傑作にしか喚起させられないものだと、私は言い切って憚らない。

http://idemitsu-museum.or.jp/

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