平成29年6月22日(木)(2017年・2677年・4349年)。
横浜通いの丸美先生は、JR東日本・東海道本線、横浜駅到着。
今日は、業務(ミッション)Cだった。
帰り道は、明日は休みなので、食べ歩きはせずに家飲みとする。
買って読んでいる、阿部牧郎先生の、
人物日本プロ野球史 (学陽書房): 2005|書誌詳細|国立国会図書館 ...
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000007974901-00
の話の続き。
* * *
勝負師-水原茂
風雲-三原脩
箸と牛肉-若林忠志
闘将-藤村富美男
プロ野球が分裂した日-村上実
焦土の駒鳥-田村駒治郎
何と申しましょうか-小西得郎
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ベイスターズ関係は、第2話の、現在のジャイアンツ、ライオンズ、ベイスターズを優勝に導いた三原脩元監督、第7話の、現在のベイスターズを優勝に導いた小西得郎元監督、第6話の、ベイスターズのオーナーだった田村駒治郎氏。
ベイスターズの最初期の球場は、東京都江東区の洲崎球場で、当時から湾岸にあったようだ。
もっとも、球団は、後に大阪に移る。
当時の応援団長、赤羽親分が太っ腹な人で、試合に負けると慰めるため、選手を隣接する盛り場に連れて行ったそう。
吉行淳之介先生の第26回(昭和26年下)芥川賞候補作「原色の街」の舞台にもなっている。
吉行淳之介 『原色の街・驟雨』 | 新潮社
http://www.shinchosha.co.jp/book/114301/
現在なら横浜・伊勢佐木町に連れ出すようなものだろうけど、赤羽親分の財布の中身はどうなっていたのかな。
小西監督は、負けた時ではなく、せめて勝った時に連れ出してくれと頼み込んだそうである。
小西監督には誤審があると、審判を殴る癖があったそう。
もちろん罰金を取られるので、ポケットにお金を忍ばせ、前金で審判に押し付けてから殴ったそうである。
ラジオ韓国(1170kHz)・受信記録(21:25〜22:00)。玄界灘(サッカー国際大会試合中のトラブル、ほか)。社会面(平壌の女性交通警官は容姿端麗、定年26歳、ほか)。SINPO=33333。
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