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2017年06月14日12:35

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「あら探し」と「愛探し」



ひらやまれいこさんは著書「あなたがいるだけで幸せ」(はまの出版)で、
「いやな奴」が存在するわけでなくて、「いやな奴」と思っている私がいるだけ、
と言っています。

名セリフで知られた映画解説者の淀川長治さんは、「私は嫌いな人に あったことはない」
と言っていました。

誰にでも長所と短所があります。しかし、淀川長治さんは、どんな人でもいい所ばかりを見ておられたから、この言葉になったのだと思います。

以下は、鈴木秀子さんの「奇蹟は自分で起こす」を参考にまとめました。


ある大きな町に入る所に、一人のおじさんが石の上に座っていました。
一人の旅人がその前を通りかかったとき、おじさんに聞きました。
「これから入っていく町は、いい町でしょうか。幸せを与えてくれる町でしょうか」
そのおじさんは、
「あなたがいた町はどんな町でしたか」と聞き返しました。
すると旅人は、
「自分がいた町は、とても嫌な町で、もう生きにくくて、意地悪な人が
いっぱいいました。
だからこの新しい町に移ってきたんです」と言いました。
おじさんは一言、
「あなたの行く町は、あなたがいた町と同じですよ」と答えました。
そしてそのおじさんはそこに座り続けていました。

次にもう一人の旅人が来ました。
そして同じように、
「これから私が入っていく町は、いい町ですか。それとも嫌な町でしょうか」
と質問しました。
すると、おじさんは同じように聞きました。
「あなたがいた町はどんな町でしたか」。
その旅人は、
「おじさん、私がいた町はとってもいい町でした」と答えました。
おじいさんはにっこり笑って、その旅人を見て一言、
「あなたがこれから行く町も、今までいた町と同じようにいい町ですよ」
と答えました。
(以上)




このお話は、心が変われば世界が変わる、世界はすべて自分の心が映し出した鏡であるということを教えています。

嫌だという思いがあるかぎり、どの町へ行っても嫌な町になるのです。
いい町だ、幸せだと思える人はどこへ行ってもいい町で幸せです。

いい町にするためには、いい町だと思える自分になるよう、また、いい所ばかりを見ることができるように、自分を変える(魂を磨く)ほかありません。

相手に笑顔を向けると相手も笑顔で返してくれます。
相手を非難すれば、相手もこちらを非難します。

山彦と同じです。
「ばかやろう!」と怒鳴れば、向こうからも「ばかやろう!」と怒鳴り声が返ってきます。
「ありがとう!」と叫ぶと、向こうからも「ありがとう!」と返ってきます。

人を変えることは大変難しい。まず出来ないと見るほうが正解だと思います。
だとすれば自分が変わる努力をすることだと、つくづく思うようになりました。

私の愛読書の一つにウエイン・W・ダイアーの「いいことが起こる心の魔法」(三笠書房)があります。その中に「あら探しでなく、愛探しでいこう」という文章があり、
次のように書いてあります。

「あら探し」という言葉をあなたは聞いたことがあるだろう。しかし「愛探し」という言葉は恐らく聞いたことがないに違いない。
それはほとんどの人があら探しするには精を出しても、愛を探すことはなかなかしないからである。

あなたは「あら探し」をするか「愛探し」をするかを選択することができる。
あらを探す者はよくないことに神経が向かう。
そこから批判や価値判断や憤りが生まれる。世の中と共存するのではなく、対立の立場をとることになるからだ。

あら探しは、世の中の悪いところがあなたの目に入るから起こるのではない。
あなたの心の中の観察者が、マイナスの視点から物事をとらえることを選択するからである。








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