mixiユーザー(id:14438782)

2017年06月09日23:58

316 view

ギリヤーク尼ケ崎

 とにかくインパクトのありすぎる名前ですが、今年で87歳になるらしい(生年月日がはっきりしていないっぽい)大道芸人です。
 どこで知ったのか覚束ないながら、私もなんとなく名前を憶えてはいました。横浜に住んでいた時分、白楽の六角橋商店街のイベントにやってくるというので、見ようかと思いながらも、結局はいつもの物ぐさ癖が勝って行かずじまいでした。

 先日、この人を追ったドキュメンタリーがNHKのBSで放送されました。自分の物ぐさ根性をテレビで取り返そうというのが、これまた物ぐさなのですけど、なかなか見物でした。
 大道芸とはいっても、ジャグリングやバルーンや手品といった親しみやすいものではありません。番組中で流れた映像によると、大音量のラジカセから流れてくる和楽っぽくも激しい旋律にあわせ、貧相な体格のおっさん(本人)が路上を転げまわっているだけのようにも見えました。取り囲む客の輪を飛び越えてあさっての方向へ走り去ったり、高架から飛び降りそうに身を乗り出したりもしていました。
 なんだかよくわかりませんでしたが、NHKも理解不能とテロップをつけていたので、わからなくても問題なさそうです。

 もちろん、世の中には訳の分からないものの方が多いわけですから、このわからなさをあえてNHKが取り上げるには理由があるはずですが、それもわかりません。
 代表的な演目のひとつに「念仏じょんがら」というのがあって、これが前出の映像で演じられていたものだと思われますが、このタイトルの時点で洗練というものを指向するつもりはまったくない、ということがかろうじて推察される程度です。

 番組自体は昨年の中ごろ、公演を数週間後に控えたところから始まるのですが、なんせ高齢でもあり、彼はこの時点で立つすらできず、手が震えて食事も満足に摂れず、口を閉じることができなくてよだれがとまらない有様です。
 当然、日々の生活を自ら便ずることはできませんが、弟さんと同居しており、この方がもっぱら面倒を見ていました。この弟さんができた人で、以前はタクシーのドライバーで生計を立ていたとのことですが、現在は引退し献身的に兄の世話を焼きながら年金で暮らしているようでした。
 もっとも、できた人だけあって兄とは真逆の常識人でもあり、兄にむかって自分にとって公演がどういうものなのか言葉で説明すべきではないかと忠告したところ、「そんなことは舞台に立ったことのない人間の言うことだ。それができるんなら、みんな小説家になって本がもっとたくさん売れとる」と激昂され、素直に謝っていました。

 もちろん、上記のギリヤークの反論はまったく筋が通っていません。しかし、弟さんが常識人であるだけ言葉の人でもあるのに対し、ギリヤーク尼ケ崎本人は徹底して演じる人であり、感性の人なのだと如実に示してみせたシーンでした。

 この番組で知って驚いたのですが、この人は伊丹十三監督の『マルサの女』で山崎努に宝くじを売りにくる男として出演していました。番組ではそのシーンについての生前の伊丹十三監督へのインタビューの映像も挿入されており、彼について、自分たちが安住している秩序の埒外にいる人のようだと答えていました。

 実際、そんな感じはします。そもそも、ギリヤークという名前自体、樺太中部以北とその対岸のアムール川下流域に住む少数民族(現在の総人口は約5000人とか)から採られており、wikipediaによると、顔がギリヤークっぽいからとか、母親がギリヤークの血をひいているなどの由来が述べられていますが、それはおそらく説明のための方便にすぎず、実際には自分が大和民族という枠内の存在ではないという主張がこめられているのではないでしょうか。

 もともと資質として、ごく一般的な社会生活にそぐわない傾向があったようにも見えますが、自らそう名乗ったのについては、昭和5年(ごろ)という彼の生年が関係してもいるでしょう。最も多感な思春期のころ、非常に重たい存在であった大日本帝国の崩壊を目の当たりにしたこの世代は、たとえば作家であっても国家や権力というものについてかなり根源的な不信を作品のモチーフにすることが多いし、彼自身も多分にそうした気分を共有してもいるのだと思います。

 そこで思い出すのが、"MONSTER LIVE!"の反省会におけるある芸人の言葉、舞台の上に法律はないですから、です。もちろん、この言葉はセクハラを正当化するためのものでしかありませんでしたが、たしかにあの場所は一般の市民生活とは別のルールに支配されているのではないかと思うことが、一再ならずあります。それは、あそこに立ってみないとわからない感覚かもしれません。

 世間でいうところの当たり前の生活とは縁のないギリヤーク尼ケ崎にとって、大道芸の現場こそが自分のいるべき場所なのでしょうか。だからこそ、ろくに体も動かないのに公演にこだわるのか。そういう場所があるということは、幸福なのか不幸なのか、番組を見ていても、わからないことばかりふくらんできます。

 体については番組の冒頭、医者にみてもらっているが病名すらわからないと本人の口から語られます。いよいよ公演も近づき、忍耐強い弟さんも匙を投げるぐらいになってやっと判明したのがパーキンソン病でした。わからないといっていたわりには、有名な病気で拍子抜けですが、特定されたことで薬品の投与が開始され、これが効果をあげて手押し車を押しながら近くの公園に出かけ、練習もできるぐらいには回復します。

 開催が危ぶまれていた公演は、どうにか実行にこぎつけました。大道芸なので客席はありませんが、とにかく人がびっしり集まって、最前列にはプロ仕様としか思えない大きなカメラを手にした人たちが待ち構えています。大道芸とはいえ、すでに斯界の有名人なので、待っている側にも気安さみたいなものはまったく感じとれません。

 そして、いよいよギリヤーク尼ケ崎のパフォーマンスが始まります。とはいえ、どうやったところで過去の映像のような激しい動きはできません。しかし、あの映像もよくわかりませんでしたが、この公演もやっぱりよくはわかりません。わからないものとわからないものを較べて優劣を論じるのも間抜けだし、そもそも動きの激しさが評価のポイントではないと言われれば、そうかと思うだけだし、そもそも目の前にくり広げられているこれに対して、なんらかの評価が可能なのかすらももうよくわかりません。

 そんなこんなですべてが終わり、客の間にまわされてきたザルが戻ってくると小銭が山盛りで、お札もいくらか見てとれます。舞台装置はせいぜいラジカセ1つ、スタッフもほとんどなしで必要経費は限りなく抑えて実入りがこれだけなら悪くないとみみっちい計算も立ててしまいますが、彼の場合は1日に何公演も打てるわけはなく、年に数回、悪くするとこの回だけですから、意地悪くみれば大道芸としての体裁を整えるための集金のようでもあります。それでも、番組からうかがえる生活からすれば、悪くない臨時収入でしょうけれども。

 あの日、六角橋商店街のイベントに行っておけばよかったと後悔しつつ、やっぱり、よくわからなかった気もするし、わけのわからない人がいて、わけのわからないことに打ちこんでいるんだなと不思議な気分にさせられた番組でした。

2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2017年06月>
    123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930 

最近の日記