いつの頃からだったのか、ゲゲゲの鬼太郎、というひとの存在を知っていた自分。
気付いた時にはあの人が鬼太郎さんだと分かってしまっていたけれど、初めて彼の名前を知った時の感情はどうだったんだろう、と4期「言霊使いの罠!」を見て思いました。
名前なんて記号みたいなものでしょ、と軽〜く考えていました。でも記号だろうがなんだろうがなくてはならないものなんだなぁ、と一刻堂さんからつくづく教わりました。
それは自己肯定の為でもあり、他人から肯定される為でもあり。
肯定することもされることもない名前のない存在は、なんと不安定で頼りないことか。
意識のあるなしではなく、肯定つまり名前のあるなしで存在が決まってしまうのだということをすごく実感とさせられました。
自分の名前を思い出せなくなり、仲間の名前や父親のことさえも忘れてしまい、一刻堂さんに祓われかけたその時、ぬらりひょんが
「ざまみろ、鬼太郎!」
と名前を呼んだことにより、自分の存在を思い出した鬼太郎さん。
「幽霊族の生き残り、ゲゲゲの鬼太郎だ!」
と自分自身の存在を一刻堂さんへ知らしめ、力強く仲間の名前を呼び存在を肯定していく鬼太郎さんがとても勇気がみなぎりカッコよかったです!
最後の鬼太郎さんと親父さんの会話、わたしは少し悲しかったんですけどね…。
「ないと思えばないし、あると思えば全てある。わしらを知っている人がいる限りわしらはそこにおるし、こうしてわしらがいる限り、これが現実じゃ」
「そう…ですね」
親父さんの言っていることは禅問答みたいだけど分かるし正解なんだと思う。
それに答える鬼太郎さんの口調が…。
迷いながらも納得してみたって感じだったように思う。
どんどん妖怪の存在が忘れられていく時代、一刻堂さんからは存在を否定され、自分たちの意味について4期鬼太郎さんはちょっと深く考えてしまうのではないかなぁ…と心配でもあります…。
「いてはいけないけれど、いなくてはならない存在」
なんて矛盾したことも言われて、悩んじゃうよね(笑)。
だけど、鬼太郎さん。存在していてください。
あなたも、仲間も。
妖怪って日本人の心みたいなもんだと思います。
なくならないで。
生まれ落ちた時、彼は水木さんから体という存在を消されそうになり、そしてあのまま一人ぼっちになったとしたら名前も付けてもらえずに彼は文字通り存在を否定されかけました。
でもそこに親父さんがやってきて。彼に向かって
「お前は鬼太郎だ」
と名前を付けてくれました。
彼の存在はそこで確定されたのです。
ありがとう、親父さん!
わたしにとって、ゲゲゲの鬼太郎、という名前は最早神々しくて尊くて。
鬼太郎、という名前は貴く眩しい名前です
しかし一刻堂さんの存在は凄かったね!(笑)
一刻堂さんを演じたのは脚本も手掛けた京極夏彦さんでしたが、演技がお上手でビックリでした!声もヨカッタ
し、ずーーっとウンチクを聞いていたい衝動に駆られました(笑)。
ストーリー展開もスピーディ!鬼太郎VS一刻堂のシーンでのもたつき感もなくて一気に結末に到達する流れがもの凄い充実感と満足感でした!人気小説家の書かれた脚本だけあって、面白い内容でしたね!
妖怪対陰陽師ってのも面白かったな
式神の使い方とかも気持ちよかったダス〜
護法童子がよかった!
あと素晴らしかったのがねずみ男登場場面
あの無表情、何を考えているのか分からない動き、なんか原作の無慈悲なねずちを見ているようでゾクゾクしました(笑)。京極さんならではのあのねずみ男だったのかしら
一刻堂さんて、再登場する?しないか(笑)。
さて、久しぶりにムスメと鬼太郎さんを見たのですけど、久しぶりだったせいか「次も見る、次を見せて」と101〜104話までリクエストされました
4期は114話でおしまい、という話をしたら
「じゃあ次は3期見ようね!
」
と言ってくれましたよ!
やっぱおめさんも3期一番かい〜〜〜!!?(号泣)
でも次に見るのは2期だから
エヘっ
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