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2017年04月23日17:37

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「愛」と「好き」の違い1

愛と好きの間には著しい違いがあります。好きには約束や承諾が伴われていません。ですからたくさんの人はあまり愛を口にしたりしません。しかし実のところ、人々は愛というものを知らないうちに容易く使っているという傾向があります。承諾しなくてもいい相手に対して。例えば「アイスクリームを愛している」「車を愛している」等々。

ハッキリ言っちゃえば、人々は愛しているを言わないんじゃなくて、言えないんです。

なぜ、私たちは「好きです」より「愛している」を言わないんだろう。なぜなら愛は承諾、冒険と責任を伴い、自ら加わっていかなければならないのです。しかし「好き」という感情は花火のように短いです。私は貴方のことが好きかもしれない、でも明日になると好きじゃなくなるかもしれない。何もリスクは伴いません。「愛している」とは「愛している。そして明日になっても愛している。私のことを信じて。約束する。」と言っているも同然です。これはリスクを伴っています。

愛とは承諾です。好きに承諾は伴いません。あなたがもしも男性の方に「好きです」と言っている時は、あなたはあなた自身について語っていて、その男性について語っていません。「あなたが好き。だけど同じようにアイスクリームと車も好き」と言っているのと同じです。

反対に、「愛している」と言った場合、あなたは自分ではなく相手について語り、相手に向かって矢を射いているのです。それからあなたは承諾を行動に移すことになり、愛を入れ込むこになります。愛には永遠という素質が含まれています。だけども、好きというのは期間限定で、リスクも責任も伴いません。

「好き」と「愛している」とは一体何が違うんでしょう。「平凡な愛」と「神聖な愛」とはまた何が違うんでしょう。好きと愛しているは違うけど、平凡な愛と神聖な愛は同じです。何故かというと愛とは本来神聖なものだからです。平凡な愛を見たことがありません。平凡なのは「好き」で、「愛している」とは決して平凡ではありません。なぜなら愛の本質自体が究極に非凡なものなのです。

ひとりの女性や男性がもしも「愛している」を口にした時、あなたは「あなたの体は私を騙せない。私はあなたが見える。例えあなたの体が衰えても、私は形なき見えないあなたを見える。それは深い核心の中に潜んでいる神聖なあなたが見える。」と言っているも同然です。反対に、「好き」というのはあくまでも表向きなことです。愛とは一人の一番核心的なところ、相手の魂に触れるということです。
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