宇多田ヒカルの歌詞にも使用された「ニーバーの祈り」という有名な一節がある。
キリスト教の神学者によって作られたものだ。
次のような内容である。
「神よ、
変えられるものを変える勇気を、
変えることのできないものを受けいれる冷静さを、
そして両者を見分ける智慧を、
与えたまえ。」
というものである。
これよれば、帰宅恐怖症、否、妻恐怖症は、変えられるものである。
妻に自分が帰宅恐怖症であることを素直に打ち明けることが第一にすべきことである。
それで二人で改善に向けて話し合い、努力する。
そうすることで変えられるケースもあるだろう。
妻が気は強いけど、心根は素直で優しい部分があるならば。
しかし、そういう妻でないケースのほうが多いのではないだろうか。
もし、妻に告白して話し合っても全く改善・解決の見込みが無いならば、
離婚、あるいは別居するのが最良の決断であるように思う。
いずれにしても、帰宅恐怖症は、尋常ではない。
誰がなんと言おうと、自宅は安息の地であるべきだ。
帰宅恐怖症は「変えるべき」ことであり、「変えられる」ものである。
自分にはどうしようもないと諦めているならば、それは
冷静さと智慧を失っている状態であるから、
まず、帰宅恐怖症は「このままではいけないもの、変えられるもの」という認識をもってほしい。
夫婦関係を見直して改善するか、さもなくば別れる。
いずれにしても、このままでいるべきではない。
世の中から帰宅恐怖症の人が一人でも減ればと思って、この日記を書いた。
変えられるものを変える勇気をもってほしい。
ファイト!
■帰宅恐怖症を自覚する男性は4人に1人 家庭で気が休まらない夫たち
(しらべぇ - 01月29日 21:02)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=4407398
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