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2016年12月21日12:54

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顔のない記憶と記憶のない顔

 人の顔には個性があり、表情があります。私たちはその顔を見て、誰だか識別できます。個人の個性をもった顔、つまり「顔貌」あるいは「相貌」は個人毎に異なり、いわば個人の名札のようなものです。その名札は自分自身に対してというより、自分以外の他人に対して意味をもつものです。私自身の顔貌は私には特に必要なくても、他人が私を認識するためには不可欠なものです。互いに相手の相貌を認識できなくなると、二人の間のコミュニケーションの基本が成り立たないことになります。
 他人の相貌が認識できないこと、つまり相貌失認(失顔症)は人の顔を覚え、記憶することができない脳の病気です。顔の各部分、目や鼻は認識できるのですが、顔全体を一人の個人の個性や表情をもつ顔として認識することができないのです。100人に1人はいると言われています。高次脳機能をつかさどる部位の脳障害によって起こり、顔を見ても誰の顔かわからず、個人の識別ができなくなるといった症状を引き起こします。相貌失認を引き起こす部位は側頭葉・後頭葉にあり、人の顔を認識する顔領域と呼ばれる部位の障害が原因で起こります。
 人の顔を認識する顔領域には、相手の顔を識別する紡錘状回や相手の表情や視線を解釈する上側頭溝、相手の表情によって情動・感情を喚起する扁桃体などがあり、それらが協働して顔を認識しています。敵と味方を瞬時に識別したり、社会生活を潤滑に送るために人の進化の過程で発達したと考えられています。
 相貌失認には二つの種類があります。まずは先天性相貌失認。胎児期の脳形成の過程で人の顔を素早く認識する機能が低下します。100人に1人ほど患者がいます。多くの人は、自分が相貌失認であることに気づいていません。次は後天性相貌失認。事故や怪我、また動脈硬化、脳梗塞、脳出血、脳腫瘍、加齢などによってその部位の脳機能が傷つくことによって起こります。
 一般人と相貌失認の人の顔認識の違いは何でしょうか。正常な一般人は多くの人の顔を覚えるために、目、鼻、口の特徴を瞬時に識別し、無意識のうちに分類し、記憶しています。このような機能が低下すると、髪型や顔の形などの情報や、体型や性格、匂いやしぐさ等を補足することによって、総合的に認識しようとします。そのため、家族や友人などの認識ができ、先天性相貌失認の患者は自分で気づかない場合が多いようです。社会に出て他人に会う機会が増えると、それができなくなり、気がつくようになります。後天的相貌失認で症状がひどい場合には、家族の顔を認識できないこともあります。
 相貌失認は基本的には治りません。特に先天性のものの治療は見つかっていません。ですから、顔以外の情報で相手を認識するトレーニングが必要になります。一方、後天的相貌失認の場合、障害部位が原疾患の治療により、治ることがあります。例えば、脳腫瘍が顔領域を圧迫していて、相貌失認となった場合、脳腫瘍を手術などで取り去り、物理的に顔領域の障害が回復すれば劇的に改善することが可能です。
 ここで一つ哲学的な問題。相貌失認の人は自分自身の顔を自分の顔だと認識できるのでしょうか。鏡に映った顔を見るとき、それは他人の顔を見るときと違いはありません。もっと条件を同じにして、自分自身の顔写真と他人の顔写真を見比べて、それらがそれぞれ誰なのか判定するよう迫られたら、どんな答えが得られるのでしょうか。
 『ボーン・アイデンティティー』、『マジェスティック』、『アンノウン』等々、記憶喪失絡みの映画は多く、相貌失認の俳優と言えば、ブラッド・ピッド。そんな中で、私が強く惹かれたのは、相貌失認そのものを扱った『フェイシズ』(Faces in the Crowd)。
 ところで、記憶障害のもう一つの代表が前向性健忘。前向性健忘の映画『メメント(Memento)』は脚本がいい(不思議なタイトルはmemento mori(死を忘れずに記憶せよ)から)。主人公はレナード。妻がレイプされ、殺害されてしまいます。レナードは現場にいた犯人の一人を銃で撃ち殺すが、そのときの外傷で10分間しか記憶が保てない前向性健忘になってしまうのです。犯人探しを始めたレナードは、自身のハンデをメモ、ポラロイドカメラで記録し、重要なことは自分の体に刺青として彫り込みます。しかし、目まぐるしく変化する周囲の環境には対応し切れず、困惑し、疑心暗鬼にかられていくのです。
 日本映画の『博士の愛した数式』の主人公も前向性健忘。アクション映画の『メメント』とはまるで異なるタッチの映画です。この映画は外傷性健忘のため、80分しか記憶が持たない、将来を嘱望されていた数学者と、博士家政婦、そして頭の形からルートとあだ名をつけられた少年の心のふれあいを描いた物語。
 さて、記憶障害には前向性健忘と逆行性健忘があり、前向性健忘にはさらに二つのタイプがあります。一つは、頭部外傷など急激な中枢神経系の損傷に伴って意識障害が生じ、このため新しい出来事が記憶されず、回復した後になっても追想できない期間を残す障害です。もう一つは、新しいことが覚え込めなくなる障害で、前向性健忘と呼ぶのが一般的になっています。 
 これに対して逆向性健忘は、大脳の傷害が原因の健忘症で、脳損傷などによって起こります。傷害発生時点より以前の出来事を思い出せなくなる状態をいう。発症時点に近い時期の記憶(近時記憶)ほど障害を受けやすく、発症から遠い時期の記憶(遠隔記憶)ほど保存される傾向にある。認知症の認知機能障害のパターンによく似ています。
 相貌失認は正にどこにも顔のない記憶であり、前向性健忘は記憶のない顔が始終出てくることになります。顔のない記憶も記憶のない顔も、自分の記憶の中にはあってほしくないものです。

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