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2016年11月25日11:43

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「国民が憲法のためにあるのではない」 関嘉彦教授が問い続けた憲法の意味 東京工業大学名誉教授・芳賀綏

 下記は、2016.11.24 付の【正論】です。確かに、国民の為の憲法であって、その反対ではないですね!

                      記

 安全保障をテーマに展開された「関・森嶋論争」が世の注目を集めたのは昭和54年だった。舞台はその年の『文藝春秋』7月号と10月号。手堅い正攻法で日本の防衛努力と日米同盟の重要さを説く関嘉彦氏(当時、東京都立大名誉教授。社会思想史)と、「侵入者は白旗と赤旗で迎えればよい」と少し奇をてらったような森嶋通夫氏(当時、ロンドン大学教授。経済学)が真っ向から対立した。

≪純理一筋の「道理の教師」≫

 国際環境激変の今なら、平和鎖国日本も両論が互角とは考えにくいが、当時はまだ後者の支持者も多くて双方伯仲する時代だった。そんな世論をバックに反復された論戦は、その年の文春「読者賞」に選ばれた。

 今から10年前、関教授逝去の際には『週刊新潮』が追悼の特集に紹介した森嶋夫人の談話に「あんな後味のいい論争はかつてなかった」という森嶋教授健在中の回顧談が掲載されていた。いかにも。誠実一路、ケレンもハッタリもなくフェアプレイを貫く関教授の人柄が論敵の心をも洗ったのだ。

 邪念のない関先生は、反左翼と反ファシズムを貫いた自由主義の巨大な思想家・河合栄治郎教授の高弟で、師の思想と「唯(ただ)一筋の路」の生き方の最も忠実な継承者だった。わけても言論人として孤軍、二・二六事件を決然論難した師の勇気を学んだという。

 「その人の前に出ると背筋を伸ばさずにはいられぬ人」と朝日新聞の一論説委員は評し、櫻井よしこ氏は初対面で問答した印象を「この方は哲学者だな、と感じました」と追想した。大学教師としても後に比例区参院議員としても、先生の所説は純理一筋に大局を説き、「道理の教師」として教育界にも政界にも類のない香気を加えた。産経新聞「正論」欄創設初期からの執筆者で、健筆により当然にも「正論大賞特別賞」を受けられた。

 昭和初期の東大生、関嘉彦青年は河合著『社会政策原理』で開眼した。社会改革の思想はマルクスだけではないのだと知り、河合ゼミで「一筋の路」に踏み出した。師は近代日本の思想史の中で確たる哲学的根拠の上に「自由主義」理論を体系化した最大の思想家というべく、マルクス主義を排した改革の道を構想・力説した。

≪国際平和維持に協力すべきだ≫

 同じカテゴリーの思想は戦中の河合没後、第二次大戦後の西欧では「民主社会主義」と呼称され、各国で政権を担う先進政党が相次いだ。友党として日本に民主社会党(昭和35年結成。後の民社党)を生んだ西尾末広初代党首はいま河合教授とともに生誕125年、『社会政策原理』を精読して政治思想を固めた人で、河合門下の高弟、関教授に党綱領の起草を懇請した。

「河合先生存命なら当然執筆されたものだから門下の義務と思って引き受けた」という力作がメディアの注目を浴び、福祉国家の思想基盤ともされるに至った。

 関・森嶋論争に展開された関先生の安全保障思想は早くも昭和25年、日本の占領下にもう示されていた。『中央公論』25年10月号の論文「社会民主主義と国際民主主義」である(関著『戦後日本の国際政治論』一藝社刊に再録)。

 いわく、非武装中立を墨守していては、日本の民主社会主義者は国際的安全保障秩序の維持に協力できない、自国のことだけでなく国際の平和維持に協力すべきだ。これを委曲をつくして詳論したものだった。連合国占領下の思想的鎖国状態の中で、東西両陣営の冷戦構造の真の意味が理解されず、もっぱら内向きの“一国平和主義”の姿勢が強固だった中で、“進歩的”反米運動の高まりをもおそれず主張されたのは勇気ある論述だった。

 しかもまだ連合国軍総司令部(GHQ)の事前検閲下にあってアメリカ製憲法の第9条批判に及ぶには慎重を要すると考えられた。まして関先生には一度占領政策批判でGHQの注意があった。この論文に先生は苦心の表現で書かれた、「憲法は国民のためにあり、国民が憲法のためにあるのではない」と。

≪書き継がれた“日本人への遺書”≫

 執筆当時、先生は療養所で肺結核の闘病中であった。療養所の監視を逃れながらでなければ執筆などできない中を、想像を絶する苦心を重ねて書き継がれた論文は“日本人への遺書”とも覚悟して書かれたものだった。

 以来65年余、いまようやく9条を含む憲法改正を国会で発議できる環境に達してきた。改正の途は平坦(へいたん)ではないが、その間にも国際政局は予断を許さぬ状況が相次いで激動を呼び続ける中に、日本が重心低く毅然(きぜん)たる自由国家の姿を明示することはいよいよ急を要してきた。国の基本法典の整備を怠っている場合ではない。

 「僕の目の黒いうちに憲法を改めてほしい」と繰り返された関先生の宿願が、あたかも没後10年にして達成への道を展望できるいま、繰り返し、道理の教師による金言を。「憲法は国民のためにあり、国民が憲法のためにあるのではない」(東京工業大学名誉教授・芳賀綏 はがやすし)
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 http://www.sankei.com/column/news/161124/clm1611240007-n1.html
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