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2016年06月27日20:36

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8万歩の旅日記2・・・

 この4日間出歩いていて、トータルの歩数が8万3千歩を超えました。
 それでタイトルをそのように変更して1日ずつ書こうかと思いました。
 2日目は、24日の金曜日に新潟に行って来ました。
 新潟は、これまで3回ほど行っていますが、いずれも仕事です。
 直近では、2011年8月3日に行っています。

 朝、午前6時50分のやまびこで宇都宮を発ち、7時18分に大宮に着いて、
 7時26分にMaxときに乗り換えて新潟に向かいました。
 指定席だったのですが、僕の前の席2列ほどに10人位の小父さんの団体が乗りました。
 若い人もいましたので、職場の慰安旅行なのでしょうか、
 椅子に座るとすぐに缶ビールなどが配られ、皆さん楽しそうに話をしていました。
 若干五月蠅いとは思ったのですが、自然と耳に入って来る話が面白くて、
 退屈しませんでした^^

 新潟に着いた後、真っ先に向かったのが駅前の萬代バスターミナルでした。
 5年前に新潟に来た時に面白いと思ったので写真に撮りました。
 盛岡のバスセンターのように売店などはありませんでしたが。

 そこから新潟日報が建設したメディアシップと言う超高層ビルに行きました。
 ここに会津八一の記念館が移転して入っています。
 記念館の開館時間に時間があったので、20階の展望台に行ってみました。
 前回来た時にこのようなのがあったかなと思ったのですが、
 2013年1月に竣工したそうなので、見た事なくて当然ですね。
 天気は曇りでしたので、佐渡島までは見えませんでしたが、市街を見る事が出来ました。
 今は廃業したレインボータワーは残っていました。
 新潟に最初に行った1986年頃に乗った記憶があります。

 会津八一記念館は、余り面積が広くはありませんでした。
 八一没後60年記念企画展 「會津八一ふるさとを詠う」が開催されていました。
 会津八一は歌人と理解していましたが、俳句も多く詠んでいるのですね。
 また、八一はひらがなと言う気もするのですが、漢字の書も多く出ていました。
 僕には余り上手い字とも思えませんでしたが。
 詳しくは下記をご覧下さい。
 http://aizuyaichi.or.jp/exhibition/789/
 なお、新潟日報の題字は八一が揮毫したものだと初めて知りました。
 また、新潟大学医学部の先生とも交流があったそうです。

 メディアシップの上から次に行くつもりの新潟県政記念館の位置を確認しました。
 萬代橋から2つ目の橋の近くなので、それほど時間は掛からないだろうと思ったら、
 結構時間が掛かりました。
 地上100mの高さから見たのは実際よりも近くに見える事を体感しました。
 しかし、信濃川沿いをのんびり歩いて気持ちは良かったですね^^

 新潟県政記念館は、1883年(明治16年)3月に竣工した県議会の議事堂です。
 この頃の議場で残っているのは唯一のものだそうで、
 1969年(昭和44年)に国の重要文化財に指定されています。
 今のような議場の席の配置ではなく、ロの字形の形式で面白かったです。

 次に白山神社に行きましたが、規模が大きな神社なのに驚いてしまいました。
 平日の昼間でも、多くの近隣の人がお参りに来られていました。

 白山神社の隣にある、燕喜館と言う建物に行きました。
 明治から昭和にかけて活躍した商家、斎藤喜十郎家の邸宅の一部を
 1997年(平成9年)に移築したものだそうで、落ち着いた和風建築だと思いました。

 そこから新潟大学付属病院の前を通って新津記念館に行きました。
 病院は最近建てられたような感じで、物凄い規模の病院でした。
 新津記念館は、昭和初期の洋館で、登録有形文化財になっています。
 ところが、この日は休館日でした。
 しかたなく、その近くの新潟大学医学部に入ってみましたが、
 意外と狭いキャンパスのような感じでした。
 病院を大きくした時に敷地を削られてしまったのでしょうか?
 正門らしき門と塀の赤煉瓦が雰囲気を残している感じでした。

 さすがに疲れて来て、お腹も空いて来たので、目に付いた寿司屋に入りました。
 手頃な値段で寿司を食べられました。
 美味しかったです。

 さらに、北方文化博物館分館に行きました。
 ここは、新潟随一の大地主であった7代目伊藤文吉の新潟別邸だったようで、
 会津八一が最後に住んだ家です。
 八一の作品や、彼が敬愛した良寛の書なども展示されていました。
 終焉の地と書いてあったので、どの部屋で亡くなったのか訊いたところ、
 実際に亡くなったのは新潟大学病院だったそうです。
 医学部に知り合いの教授がいたようですから、当然なのでしょうね。

 この記念館の方に勧められて、近接した旧斎藤家別邸に行きました。
 先ほどの燕喜館は本邸の一部、こちらは別邸との事で、
 大正期に建てられた建物も素晴らしいのですが、庭園が見事でした。
 国の史跡になっているとの事でした。

 この別邸の近くに、地獄極楽小路がありました。
 道の一方は老舗料亭「行形亭」、その反対側は元の新潟刑務所と言う小路で、
 正に地獄と極楽の違いがあるとの事でしょう。
 新潟刑務所は、現在は移転し、その跡地は公園になっています。

 そこから新潟市内の繁華街古町通りをぶらぶらしました。
 5年前に来た時、この通りから少し入った所にある料亭で酒飲みをしましたが、
 位置も建物の雰囲気も覚えていました^^

 最後に、琴平神社に寄りました。
 この神社は、北前船の模型が奉納された神社との事でしたが、
 行ってみて余りにも小さな神社なので驚いてしまいました。
 拝殿脇の住宅に声を掛けたところ、綺麗な奥さんが出て来て、
 鍵を開けてくれて模型を見る事ができました。
 新しい北前船が進水する前に、同じように作った模型を奉納して、
 無事を祈ったとの事でした。

 神社を出たところで、少し雨が降り出したので、バスに乗って駅に戻り、
 朝と逆コースで家に帰りました。
 家に入った時に万歩計を見たら、30331歩でした。
 これは、2007年11月9日に、深夜高速バスで奈良と大阪に行った時の、
 35756歩に次ぐものでした。
 あの日は早朝京都に着いて、その後1日中奈良を歩いて、
 大阪に行って、当時大阪にいた長男と酒飲みなどをしました。
 行動していた時間が長かった訳です。
 もうこの記録は破れないかも知れません。

 改めて写真のアドレスを載せておきます。
 写真を見て頂ければ、文章の拙さを補ってくれるかも知れません。
 http://photozou.jp/photo/album/2882708


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