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2016年05月14日13:32

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生きるか死ぬか、それは自分次第。


【生きるか死ぬか、それは自分次第。】

昔、あるドキュメンタリーフィルムを見た。
それはとある中国人留学生がドイツで博打に嵌ってしまったために破産し、失業し、離婚し、50万ユーロの借金を背負うことになり、絶望の崖っぷちに立たされていたところから始まる。

この時、彼には50歳になる兄がいたが、この兄もドイツにワーキングホリデーへ行くことを決意した。それは弟の借金を一緒に返すためという目的の他に、傍に行って博打をやめさせようと説得に行くためだった。

これは実に不可能に近いミッションだった。
兄の妻は体が弱く、また高校生の娘がいたが、彼はこのミッションを果すために、猛反対して怒り狂った妻と離婚し、単身でドイツへと旅立ったのだ。
ドイツへ着いてすぐ、彼がした最初のことは地下の博打場への直談判だ。

彼は言った。
「私は何もない、全てを捨てて来た人間です。
ここに来たのは弟を救うためです。
もし弟を博打場へ入れたら私は一に、借金は返さない。
二に、通報。この二つのことをするでしょう。
もしも今ここで私を殺したいのなら殺せばいい。どうぞ。」

彼が回った三つの地下の博打場は二度と弟を中へ入れませんでした。

彼がした二つ目のことは、それは弟を中国人の経営するケーキ屋さんへ連れていき、職人の技を習わせたこと。
そして弟には1ユーロ以上のお金を持ってはならないと決まり事をつくりました。

そうして一年。
兄はなんとか少しお金を銀行から借り、ケーキ屋をオープンしました。
そのケーキ屋は、美味しいと評判も上々で、商売繁盛していた。

彼がした三つ目のことは、現地に「中華人はお互い助け合おう会」を立ち上げたこと。
初めてドイツを訪れた中華人は何事も彼のところへ行き、助けを求めていました。
彼は中華人の間で、生ける伝説の人物となったのです。

彼がした四つ目のことは、妻と娘に絶えず手紙を書いて出したこと。
彼女達に自分を理解し、許してもらうためです。
彼は二人に訴え続けました。
自分がドイツに来なければ弟は異国で死んでいた、と。

10年が経ちました。
当ドキュメンタリーフィルムを制作するにあたって記者が彼にインタビューした時、彼は60歳を迎えたばかりでした。彼の弟の借金は残り5ユーロで、あれから一度も博打はしていませんでした。彼はネットを通じての貿易商売を始めようと試みているところでした。

彼の妻と娘は彼を許し、復縁することになりました。
生きるか死ぬかといえば、彼はあの時、本当に窮地に立たされていました。
しかし彼は諦めず、そして奇跡を起こしたのと同時に人事を尽くしました。
人は生活のために、時にはしたくない仕事をしてでも生計を立てようとします。

しかし、少数の人間は一生の中でやりたくなかった仕事から楽しさを覚えます。
それが生きていく中で重要なことになってきます。
どんな生活を送るか、それは自分達で選び、決めることです。

幼い頃、母が言っていました。
「人生を楽しむことが出来る人はボロい家に住もうが、貧乏くさい服を着ていようが、家を清潔に保つことができるんだ。いつも家の中は生理整頓されていて、洋服は綺麗に畳んでおける。人生は限られているけれど、生き方は無限にあるんだよ。」と。

(文:崔曼莉/ 優仕網より)

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