mixiユーザー(id:15951369)

2015年09月03日06:47

340 view

「日本は反省国でいいのか?」

 戦後70年が経ったのに、日本中が「大東亜戦争敗戦」の雲に覆われて、いつまでたっても、晴れ間が見えません。その間に「民主主義」と言う名目で、中身は「米主主義」が押し付けられ、そのうちに「韓主主義」に騙され、今では「中主主義」までが覆いかぶさり、寄ってたかって「70年前の戦勝国」を傘に着て、日本に反省を求め、頭を押さえつけます。


 アメリカの教えた「民主主義」は、「日本を崩壊させるため」に仕組んだ「アメリカやヨーロッパで教えている民主主義」とは異なる物であり、多くの日本人が誤解しているのは、戦前の日本は「封建制度の社会で民主主義ではなかった」と思っているから、こんなおかしな社会になっているのです。


 西欧の「民主主義」は、もともと「奴隷社会」でしたから、一部の領主が
庶民のすべての「権利」を認めず、私物化していたので、革命によって領主を殺して勝ち取った「権利」ですから、日本のようにもともと「権利を持たなかった人はいない=農奴や奴隷制度が無かった」日本に「アメリカ製の日本向け民主主義」を持ち込む必要はなかったのです。「日本向けの民主主義の特徴」は「基本的人権はこれを犯してはならない」と言うことにあります。でもそれがアメリカでもイギリスでもそうかと言えば、違います。アメリカでも「基本的人権は憲法の定める制限」があり、「組織の命令絶対服従」と言うルールがあります。だからアメリカ兵は戦地に赴き、戦って死ぬこともあるのです。


 なぜアメリカは「日本向け民主主義を強制したか?」と言えば、簡単なことですが、日本人の「組織団結力」が強くて、それが終いに「カミカゼ特攻隊」まで昇華し、あのまま放置すれば「いつ報復されるかわからない」と言う恐怖心から、徹底的に日本人をバラバラにするために、「修正民主主義」と言う「呪い」を掛けました。その結果、今ではすっかりマインドコントロールされて、日本人は家族の中でさえ団結できず、3組にひと組は離婚する時代になりました。こうなれば、諸外国はしめたものです。日本人は何を押し付けても、バラバラですからまとまって抵抗できず、受け入れるしかなく「米主主義」でも、「韓主主義」でも、「中主主義」でもみんな受け入れてしまいます。


 「三面等価の法則」と言うルールが欧米にはあります。「権利」=「義務」=「責任」と言うもので、「権利を主張」するものは、同じだけの「義務と責任を負う」と言う意味です。ところがアメリカはこれを日本に教えませんでしたから、日本人は「権限」ばかり欲しがり、「義務」や「責任」を放棄します。特に戦後荒廃した国土の中で、生活に困窮しましたから、アメリカから多額のMSA援助やララ物資を受け入れました。政府もまた緊急に復興を成し遂げるために、「基幹産業」に重点的に投資する「傾斜生産方式」などと言う「てこ入れ」を行い、それによって早期に経済は立ち直りましたが、日本中に困ったことが起こりました。それが「補助金頼み」と言う「慢性病」なのです。戦前の日本人は「自分のことは自分で」と言う原則でしたが、今では「助成金」「補助金」「支援機構頼み」の時代です。


 今、「石破大臣」の担当で「地方創生」をやっています。橋下市長が「大阪都構想」を諦めきれずにいます。「民主主義」だから「民意が・・」と言いますが、いずれも失敗します。なぜ失敗するのか?今、地方が廃れているのは「補助金が足りないから」でもなければ、「政治が悪いから」でもありません。「民意がバラバラだから」なのです。昔と言ってもわずか50年ぐらい前までは「道普請」とか、「頼母子講」と言うような、地域主体の活動で「自分たちの住む町を自分たちでよくしていく」ことが当たり前の社会であったものが、今では本来住民がしていた「ごみ処理」や「し尿処理」まで市役所がする時代で、住民が力を合わせて自分たちの町を住みよくする意識がまるでないのです。地域のお祭りさえも廃れてしまっています。


 地方創生を実現するには、「住民参加のおらが街づくり」でなければ、「愛嬌精神」が湧かず、建物も活動も「掛け声倒れ」に終わることになります。「大阪市」と「大阪府」を統合しても、決して「大阪都」が良くなることはありません。「大阪市」と「大阪府」が競い合ってこそ、より洗練された厳しい成果が上がる物なのです。それでは何が悪かったのか?「大阪市」と「大阪府」が競って「箱もの」を作ったり、水道事業に金を注ぎ込んだりしたことで、「住民不在の企画」だったので「無駄」が目立つことになったわけです。昔の庄屋さん感覚で住民と一緒になって、汗をかく中から、真に住民のために必要な、住民が主役の、住民が守りたがる社会が実現するのです。


 住民に「カネ」を与えてはいけません。住民に「感動」や「喜び」を与えることによって、一気に活性化します。如何に住民の「パブリック・マインド」を育てるか?住民の自立した「団結パワーを引き出す」ことが、今後の
日本の課題です。もう一度原点に返って、「家庭の団結」「地域の団結」「企業の団結」「国民の団結」で、国民参加の国造りを目指したら、「集団的自衛権行使容認」や「原発再稼働」でももっと民意はすんなりまとまりやすくなり、日本の政治も無駄が少なく、レベルの高い国家建設が出来るのではないかと思います。もう「反省ばかりに明け暮れるのではなく、さっそく新しい日本の国家建設に国民が一斉に参加して、『戦後の反省』と言う雲を振り払った」らいかがでしょうか?


2 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2015年09月>
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930   

最近の日記

もっと見る