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2015年08月25日20:58

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「家族」というリトマス試験紙。

今更ながら、『サマー・ウォーズ』鑑賞。

なんで今更6年も前の映画を引っ張り出して、って
処だが、初めて見たら単純に面白かったから。

以上。

・・・と手堅くキリよく纏められたら、
俺の日記はきっともっと短くて済むんだろうなぁ・・・と
夢想しつつも、今回も矢張り長い(恐らく)。

09年のヒット作、との事だが先入観では
「苦手そうな映画」だった。

「家族」物とか苦手なのよ。

だが、そんな自分が何故見ようかと思ったか。

こんな評を、ネットで拾い読みしたからだ。
原本ではないので、原文ままではないが
ニュアンスはそのまま。

曰く。

「最近の細田守の人気躍進は著しい。それはその筈である。
何故ならば、この人気の黒幕は安倍内閣であるからだ。
脱原発、反戦論者、戦争法案反対の意見を強く打ち出し続ける
宮崎駿を嫌った安倍は、次なる「クールジャパン」のイメージの
担い手としての作家を探していた。そこにぴたりと嵌ったのが
細田なのである。「大家族」や「防衛」などの安倍好みの
キィワードを鏤めてナショナリズムを煽る作風はネトウヨが
歓喜する低劣な代物である。しかし、最近のテレヴィでの
放送などで頻繁に細田作品が流されるのは、全て安倍内閣の
陰謀なのである」

ってな感じだった。

いやぁ、ここまでこじらせると人生さぞかし難儀であろう、と
思わず同情もしたくなるが、ま、当人の自己責任なので
別によい。

ただ、これを見た時。

思わず「見てぇ!」と思ってしまったのだった。

別に自分はネトウヨなどではないが(認定された事は無数にある)、
こんなに自分の「嫌いそうな輩」が嫌う作風であるなら、
恐らく相性は良かろう、と思ったのだ。

で、幸いケーブルテレヴィで流されていて(どうやら夏の定番らしい)、
見たいと思って早速見れたのは幸運であったが。

結論としては、「普通に面白い映画」であった。

近未来と前近代、オンラインとオフライン、個人と家族、
アナログとデジタル、という分かり易い対比に
スピード感ある演出、飽きさせないストーリィ、
ベタ上等!な「楽しませてやるぜスピリッツ」が
これでもかと投入されていた、「優秀な娯楽作」であったのだ。

確かに、登場人物の描写は薄めであるし、こんなに人数はいらなかろう、
とも思うが、そもそも前提は「大家族」というクラスタであり、
そのクラスタ単位が一主人公である、と解釈すれば別に
何の抵抗もなく物語は見える(だからこその主人公の少年健二の
描写が読者の感情移入をそそらない作りであるのは英断と云える。そして、
それを示すのが中盤の傑物たる祖母栄の「なつきをよろしくね」という
台詞にクライマックスで呼応させる健二の「よろしくお願いしま〜〜〜す!!」に
なる。これは真の主人公たる「大家族」に参加をする事の決意表明であり、
それが物語中一番の「大事」なのだ)。

ベタな処はとことんベタに、新しい処は新しく、という
切り替えの妙が、この作品の奇妙な魅力なのだろう。

個人的には、それ以外につい二週間程前に経験した
ある事とあまりにこの作品がシンクロし過ぎていて
驚倒してしまった、というあまりにも「個人的」事情が
あるにせよ、それでも矢張りこの作品は「良く出来た映画」で
あったのだ。

で、まぁ次の日。

通勤の電車内で手慰みがてら、ネットでこの作品のレヴューを
読んでみた処。

これが、実は本編以上に(というのは云い過ぎだが)面白かったのだ。

先にも書いた通り、この作品は娯楽作品である。
レヴューを読んで知ったのだが、細田守の先行作品である
デジモンの映画のリメイク(乃至は換骨奪胎)だったらしい。

つまり、煎じ詰めれば「面白かった」か「詰まらなかった」だけの
感想となる筈だ(同様の理由で見た、スタローン他筋肉アクタ大集合の
『エクスペンタブルズ』レヴューはそんな感じだった)。

しかし、この作品は非常に奇妙な事に。

結構な数のレヴュアによって。

「拒絶」されていたのだ。

「ご都合主義」だの「人間が描けていない」(ま、これは
結構驚いた。21世紀になってもこんな黴の生えた批判をする人が
いるんだって事に)だのというのはまだいい。

「みんなこんな感じが好きなんだ?」とか、
「ネットオタの自慰行為のような話」などが
その代表か。

何か、奇妙な違和感を覚えて、一通りレヴューを読むと、
その理由が見えてきた。

一方ならぬ人数のレヴュアが「家族」という存在への
嫌悪や絶望を綴っていたからである。

これが、「面白いor詰まらない」という論点とは
別に出てくる「拒絶」の正体(の一部)なのであろう。

あるレヴュアは「ストーリーの弱い所」として
以下の点を挙げていた。

「親戚達があつまってきて楽しそうに毎日あふれるがばかりの
ご馳走を前に飲み食いしているけれど、ふつう親戚の集まりって
つまらないものだし、なんでこんなにお金持ちなのか、とにかく
現実離れしていて変に思う」

ま、作中で親戚達は「ばあちゃんの誕生日だから」集合してきたので
あって、毎日集まって飲み食いしている訳ではないだろう、とか
お金持ちなのは歴史ある旧家で土地持ちだからだろう、とか
作中で出て来た飯もそれほど金が掛かっている訳でも無かったろう、
などと「ちゃんと見てたか?」とも云いたくもなるのだが、
それは置いておいて。

矢張り、気になるのは「ふつう親戚の集まりって
つまらないものだし」という行。

え、そうなんだ?とちょっと驚いてしまった。
そして、そこに違和感の根源があるのだ、という事に
気付けた次第であった。

そうか、だからこそ撥ね付けるように拒絶するレヴューが
奇妙な存在感を発揮しているのか、と思ったのだ。

それなら確かに、「リアリティがない」し、「ご都合主義」だし
「感情移入が出来ない」と感じるであろう。

個人的に、創作物にこの三つを批判として挙げる人間は
基本的に馬鹿だと思っているのだが(リアリティがなく、
ご都合主義的で、感情移入を阻害する作品、芸術なんて
腐る程ある)、どうやら、この作品に関しては
見誤っていたらしい。

彼らは、「拒絶」されていた物に「拒絶」を返しているだけなのだろう。
それはまるで木霊のようだ。

それは、森や谷の叫びではなく、発する当人の声なのだ。

無論、それが全てとは云わない。
上記した通り、確かに穴もあるし「ここはもう少し何とかならんかったか」と
製作者を問いつめたい箇所は多い。

だが、この通俗的娯楽作品への、非常に強烈な「拒絶」は
何がその震源にあるのか、を考えさせずにはいなかったのだ。

奇妙な、つくづくと奇妙な味のある作品鑑賞であった。


最後に、どうでもいい蛇足。

レヴューの中で凄く気に入った一節があったので、
それを引用して独断と偏見に満ちたこの日記を閉じる。

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「『ALWAYS 三丁目の夕日』を『スターウォーズ』の演出で
観たようなアンバランス」

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それって、凄い面白そうな映画じゃね?










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